よく、クラブのサポーターが試合会場に持ち込む旗や、合唱するチャントに登場する、「○○・ティル・アイ・ダイ」というフレーズ。これは、生涯の忠誠を誓う謳い文句だ。

 その背景には、日常の一部と化しているサッカーの中でも「我がクラブありき」のイングランド人らしいあり方がある。同時に、心のクラブは常に実存するという前提も。

 この国のクラブはフランチャイズ制と無縁。親はもちろん、曾祖父母の代からサポーターという例も珍しくはないように、故郷のクラブというものは、人々の生涯を通して存在し続けるべきものなのだ。

 その地元クラブが、ある日突然、消滅してしまう……。イングランドの庶民にすれば、考えられないシナリオだ。ところが、昨季にリーグ2(4部)からリーグ1(3部)に昇格を果たしたバリーのファンは、あってはならないはずの悲劇を体験することになった。

 原因は、負債が膨らんだ末の経営破綻である。

 国内北西部の街にあるバリーは、フットボールリーグ(2~4部)が指定した8月23日午前0時までという当初の“デッドライン”こそ延期に漕ぎ着けた。だが、土壇場で取りつけたはずの買収商談が最終期限の27日午後5時に間に合わず、復帰1年目となるはずだったリーグ1のピッチでボールを蹴ることなく、フットボールリーグから蹴り出されてしまった。

下部でも経営難をしのげるはずが。

 開幕からバリー戦の5試合を延期していたリーグにしてみれば、リーグ1に所属する他の23チームと日程への影響から止むを得ない判断だった。

 バリー側としてはクラブ買収による延命の希望が生まれた矢先の出来事だっただけに、余計に辛い追放処分となった。サッカー協会が主催するFAカップへの参戦も許されないため、試合を開催できない。つまりは収入がないため倒産という末路は避け難い。

 前例がないわけではない。だが、前回のリーグ追放事例は4部で起きた27年前のことである。この国のクラブは、下部リーグ勢でもしぶとく経営難をしのげるという見方が一般的である。

 もちろん、最上層のプレミアリーグとの間には歴然とした経営規模の差が存在するが、それぞれのレベルに応じてチケットを買って試合を観戦し、グッズ購入でお金を落としてくれる得意客を多く抱えているからだ。

「かけがえのない家族」を失った。

 3部でも昨季24チームの平均観客動員数は約8700人。バリーにしても、4部での昨季ホームゲーム観客動員数は平均4000人を下らなかった。プレミア規模には届かないが、放映権収入の分配もあり、破産寸前の状態でも新オーナー登場に救われる展開に現実味があると思われていた。

 しかし、バリーは残念な例外となってしまった。

 地元民は「最愛の人」や「かけがえのない家族」を失ったように悲しんでいる。当然だ。バリー自体は、人口8万人程度の小さな街である。日本で言えば、筆者が学生時代に住んでいた東京の狛江市と変わらない規模になるが、北西部というエリア全体で眺めればクラブには事欠かない。

 20を超えるプロクラブの中には、20キロ程度しか離れていないユナイテッドとシティというマンチェスターの両雄も含まれる。それでも彼らの「我がクラブ」はバリー以外にあり得ないのだ。

 愛するクラブがなくなったからといって、別のクラブのファンになれるわけでもない。創設年の1885年からのホームで、宅地化が危惧されるギグ・レーンに、「R.I.P Bury FC(バリーFCよ、安らかに眠れ)」と蓋に記した棺桶を持って現れたファンは、ウケを狙ったわけではなく、素直な気持ちを形に表しただけのことだ。

134年の歴史あるクラブの最期。

 125年間に渡って籍を置いたプロリーグを追われたバリーは、今季プレミア20チームと比べても遜色ない134年の歴史と、2度のFAカップ優勝歴を誇る由緒あるクラブだ。「我がクラブ」の最期に立ち会うことになった地元民の様子は、「悲報」として全国的に伝えられた。

 報道によれば、当初の買収期限日の夜、愛するクラブが息を引き取る前にもう一度だけという心境で最初にスタジアムに集まったサポーターの1人は、73歳の女性だったという。

 他にも、83歳の老女、66歳の男性、20代の青年、10代の少年といった地元の老若男女が、バリーを失ったやるせない悲しみとやり場のない怒りを、メディアに語っていた。

助け舟を出したネビル兄弟も……。

 怒りの矛先は、オーナーとフットボールリーグに向けられている。オーナーは負債に苦しんでいたクラブを昨年12月に買収したにも関わらず、資金不足で経営を立て直せなかった。そればかりか、名目上だけの1ポンド(約130円)購入から、売却を拒んで手遅れを招いた。そんな人物にオーナーとなる資格を認めたフットボールリーグも同様だ。

 元マンUのガリーとフィルのネビル兄弟は、両親と親戚がバリーに雇用されていた縁があった。そのため弟のフィルがクラブの末路に思うところを語った。

 しかし、結果的には一部のファンから反感を買う羽目になった。タイミング悪く、今季からリーグ2に昇格したサルフォードにマンUのOB仲間と共同オーナーとして出資したくせに、家族と縁のあるバリーがリーグ追放の危機にあるのに見捨てた、とみなされたのだ。

 ネビル兄弟に対する“口撃”は、思わず八つ当たりといったところか。

ハート&ソウルを失ったファン。

 哀愁から憤慨まで感情たっぷりのバリー・ファンは、口々に「ハート&ソウルを失った」と言っていた。

 決して大げさな表現ではない。ビッグクラブや強いチームになびくことのない「我がクラブ」への愛情、そしてリーグ追放に伴う悲哀は、クラブと地域の垣根を超えて国民に理解されている。

 バリーから300キロ以上離れている西ロンドンでも、近所のブレントフォード(2部)、市内のアーセナルやトッテナムをサポートする隣人と立ち話になれば、自然とバリーの悲劇に話が及ぶ。この国に“故郷のクラブ”がない筆者でも他人事とは思えず、バリー・ファンの不幸に胸が痛んだ。

 延命に微かな望みが生まれたかと思われた8月24日、筆者はノリッジに行っていた。

 イングランドでは数えるほどしかない30度台の真夏日。チェルシーのサポーターたちはロンドンを朝8時半に出る列車の中からビールを飲み、その時点で勝ち星のないチーム談義に盛り上がっていた。

 満席の車内では、ファンジン(ファンが集まって作る雑誌)の製作者が車内販売員さながらに最新号を売り歩いていた。今季初勝利後の帰りの車内では、浴びるようにビールを飲んで祝勝会騒ぎ。そんな光景を眺めながら、彼らがチェルシーのない日常を強いられたら一体どうなってしまうのか? そう思わずにはいられなかった。

バリーを無駄死にさせないために。

 かれこれ20年以上前、英国での永住を決意した大きな理由の1つがチェルシーだった自分自身も、それこそ魂を抜かれたような状態になった気がした。

 バリーの二の舞は、少なくとも下部リーグ勢にとっては起こり得る事態である。タイミングを前後して新オーナーによる買収実現で救われたものの、今季リーグ1所属のボルトンも追放処分寸前だった。

 リーグ2では元イングランド代表DFソル・キャンベルが、昨季終盤から給与支払いが滞っていたマクルズフィールドでの監督契約を、わずか8カ月半で解約したばかりだ。バリーを処分したフットボールリーグは連鎖反応を危惧する声がある中で、所属クラブの負債額は減少方向にあるとのスタンスを取っている。しかし現場には、今回の一件を「氷山の一角」とみなす向きもある。

 バリーを「無駄死に」させないためには、クラブ買収時に新オーナーとしての適性審査を、外注する手段へと一考する価値はあるだろう。審査プロセスを担当する部隊が就任後のモニターも実施すればさらに良い。本当に適した人物が所有者となれば、前述したように、この国のクラブはそう簡単に存続不可能な状況に追いやられはしない。

セミプロから蘇ったクラブも。

 57年前にリーグ追放になったアクリントン・スタンリーのように、安定をもたらしたと評判の現オーナーの下で、ノンリーグ(セミプロ)からの再出発し、再び3部まで戻ってきた復活例も存在する。いわゆる“フェニックス・クラブ”の一例だ。

 何より、バリーのファンも悲しみに打ちひしがれているだけではない。サポーター間では早くも、ギグ・レーンをホームとするクラブを再結成して、来季ノンリーグにエントリーしてプロリーグへの復活を目指す動きが検討されているという。

 悲劇の先に復活劇が待っていることを願っているのは、地元サポーターや、経験者として励ましのツイートを送ったアクリントンのような、同じ北西部のクラブだけではない。

 地方のいちクラブが不死鳥の如く蘇る未来が全国レベルで望まれている。サッカーが庶民の「ハート&ソウル」だと言える、ここイングランドでは。

(「プレミアリーグの時間」山中忍 = 文)