価値ある銀メダルだった。

 8月29日、柔道の世界選手権男子90kg級で、向翔一郎が銀メダルを獲得した。

 日本が苦しんできた階級である。

 海外選手の層が常に厚く、世界選手権で日本勢が優勝したのは2005年が最後。銀メダルも2011年までさかのぼらなければならないことが、その苦闘ぶりを示している。そんなシビアな戦いが繰り広げられてきた階級に挑んだのが……向だった。

 23歳、初めての舞台である。

 だが向は初戦から物怖じせず、試合に挑む。背負い投げなど担ぎ技を得意とするのをはじめ、寝技まで幅広くこなせる向は、その力を初戦から存分に発揮する。

 初戦となった2回戦で背負い投げにより一本勝ちをおさめると、順調に勝ち上がる。準々決勝では、昨年の大会で銀メダルの実力者イバンフェリペ・シルバモラレス(キューバ)と対戦するが延長の末、一本勝ち。

 決勝まで、向の強さが光る展開が続く。いや、それは決勝のノエル・ファントエント(オランダ)戦でも変わらなかった。全般に優位に戦いが進み、向の優勢は疑いようがなかった。

 ところが、残り33秒。大外刈りのあと、小外刈りで技ありを奪われる。それが勝負の決め手となり、向は2位にとどまった。

 試合が終わったあと、向はうつぶせになり、立ち上がることができなかった。

「もういけると思った」

「一瞬の隙だと思います」

 試合を終えて、向は振り返った。

「相手がバテていて、もういけると思ったし、どうやって投げようかなと頭に浮かんでしまいました」

 そう思った刹那、技をかけられたのだと語る。勝利に近づいていたからこその悔しさであり、油断でもあった。

 試合後のみならず、そのあとの表彰式でも、涙が止まらなかった。優勝を渇望するさまざまな理由があった。

「異端」「変わり者」との評価も。

 来年の東京五輪を目標にするからこそ、代表争いを勝ち抜くため、ここで勝っておきたいという理由はもちろんある。

 それだけではない。

 向は日本の柔道界では「異端」「変わり者」と言われることがあるのだ。「破天荒」とまでの表現を耳にしたこともある。

 その理由は、思い切りのよい……と言おうか、そもそもの言動、素行にある。

骨折を1週間で治してみせる???

 例えば、今年7月のことだ。

 国際大会で中足骨骨折の怪我を負ったが、「自分の回復力はふつうの人とは違うので、たぶん1カ月かかるところを自分は1週間で治します」

「今までも(骨折したことは)あったと思いますが、気づかなかったですね」

 と笑った。

 キックボクシングの動きを間合いを図る際に取り入れるなど独自のスタイルも築いてきた。

「あるまじき」行動でひんしゅくを買ったこともある。

 日本大学4年生の夏、向は柔道部から退部を申し渡された。練習の点呼に遅れたのが直接の理由だったが、素行にも問題があった。寮からも追い出された。練習場所も失うことになったから、知り合いなどの手も借りて、さまざまな道場へ出稽古に赴いた。

 その後、頭を下げて部に復帰したが、湧き起こったのは「自分は恵まれている、みんながいるからできるんだ。練習相手がいなければ柔道もできない」という思いだった。

 そんな経験も重ねて迎えた大舞台だからこそ……向はなにがなんでも勝ちたかったのだ。

井上監督「課題だった『我慢』はできた」

「自分にむかつきます。2位は1回戦負けと同じ。これだけ悔しいのは初めて」

 向は最後まで、悔しさをみなぎらせた。課題はたしかに残った。

「我慢が大事」と言うように、強烈な強さを発揮する試合がある一方、性格からか、勢いに乗りすぎて足を掬われることがある。

 決勝で生まれたわずかな隙も、向のそうした面が影響していたかもしれない。ただ、壁が厚い90kg級で、初出場にして銀メダルを日本勢として8年ぶりに手にしたのは事実だ。向のポテンシャルもまた、試合で見せつけることはできていたのだ。

「来年、圧倒的な力をつけて、ここ(五輪会場の日本武道館)に戻ってきたいです」

 新たに決意を固める向に、日本男子代表の井上康生監督が言葉を送る。

「課題だった『我慢』をして、自分の戦いができたことは次につながると思います。涙がひとまわりもふたまわりも、成長させてくれると思います」

 そんな期待を寄せられる存在感を示した、世界選手権だった。

(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)