「高山、あと5cm、あと5cmだ」

 トレーナーのケビン山崎氏から飛ぶ檄に応えるように、高山勝成も「5cm、5cm、伸ばす、右を伸ばす」と声を上げながら36歳の肉体を目一杯、追い込んでいた。

 プロ40戦、ミニマム級で世界主要4団体を制覇した元チャンピオンは今、険しき茨の道を進んでいる。

 一昨年、2020年の東京五輪出場を目指してアマチュア転向を表明。今年7月にアマ初戦となった全日本選手権・愛知県選考会で白星を飾り、8月31日に始まる東海ブロック予選に進出した。

「まだ東京とか、金メダルとか言える状況ではないです。1日1日、1分1秒を無駄にせずレベルを上げないと先は見えません。次の一戦、勝てばまた次の一戦。アマチュアボクシングの怖さと戦う毎日です」

 高山の表情に笑顔はなく、プロの世界でチャンピオンベルトを巻いたという余裕も感じられない。

「野球でいえば3回の裏で終わってしまう」

 東京五輪に出場するためには、まず11月の全日本選手権の王者となり、さらにその王者と世界選手権メダリストが異なる場合は12月のプレーオフで勝利し、来年のアジア・オセアニア予選及び世界最終予選への切符を得なければならない。タフな道のりが続く。

 クレバーなベテランファイターは、現在のキーワードを冒頭の「5cm」と語る。

「アマチュアの世界では、いかにポイントを重ねていけるかがすべて。しかも3分×3ラウンドなので、野球でいえば3回の裏で試合が終わってしまう感覚です。しかも打席は3回ではなく、1試合に1回。修正もきかない、まさに一発勝負なんです。時間と機会との勝負の中でポイントを取り続けなければいけない。

 だからこその5cm。あと5cmでも右のパンチが伸びれば、ほとんど相手に届く、ポイントを取れるチャンスが増える。そのためにケビンさんのところに来ました」

「あと5cm、拳が伸びれば」

 高山の言う「ケビンさん」とはトレーニングジム「トータル・ワークアウト」でトレーナーを務める、ケビン山崎氏のこと。これまでプロ野球選手やレスリング選手をはじめ、多くのアスリートのトレーニングを指導してきた。

 そのケビン氏も、プロの世界で戦ってきた百戦錬磨の高山に対して、厳しいアドバイスを送る。

「高山の左は素晴らしい。ただ、右はプロ時代も調子が悪いときほどパンチが短かった。相手に届かない、伸びないパンチは怖さも与えられない。そのパンチが届かなかった瞬間、アマの世界では終わり。ポイントが取れないことを意味するからね」

 その一方、ケビン氏は高山の可能性について力強く続けた。

「心底、何が起こるかわからないのがアマチュアボクシング。今は右の股関節の動きを良くするトレーニングを行い、右の膝、腰、右肩、右腕へと連動させて、最後は右の拳にすべてのパワーを宿らせるという感覚を染み込ませている。あと5cm、拳が伸びれば東京五輪は必ず見えてくる」

来年37歳、プロからアマへの挑戦。

 たかが5cm、されど5cm。

 高山が挑む高きハードルの中で課せられた「5cm」というキーワード。東京五輪で頂点に昇るという大偉業達成へ向けて、1秒のロスも許されないと高山は言う。

「時間がないんです。でも、短期間の中で進化してやるという思いは強いんです。達成感を感じたいんでしょうね。今月末の東海ブロック予選は右の拳の伸びを見てもらいたい。当たらないと思って間合いを取る相手に驚きを与えたい。ここまで届くんだと。そして高山はまだ爆発力を持っていることを見せつけたい。試合までの時間、やることが多すぎますね」

 先日、世界のベルトを取り戻した村田諒太はアマチュアとして五輪で金メダルを獲得してプロの世界へ進んだ。だが、来年37歳を迎える高山の人生はその逆だ。プロからアマへという異例の道を歩むチャンピオンは、どんなドラマを描くのだろうか。

(「格闘技PRESS」田中大貴 = 文)