決意を固めた人間の強さ──そんなことを思わせるパフォーマンスだった。

 8月20日に東京・エスフォルタアリーナ八王子で行なわれたスポーツクライミングの世界選手権、女子複合決勝。野口啓代は銀メダルを獲得し、「全体の7位以内で、日本人最上位」の選考基準により、東京五輪の日本代表に内定した。 

 オリンピックでのスポーツクライミングは、スピード、ボルダリング、リードの3種目の総合成績で争われる。野口は最初のスピードは7位だったが、2つ目のボルダリングで1位。最後のリードで3位、トータルで2位となった。

 白眉はボルダリングだった。人工壁に設置されたコースを制限時間内にいくつ登ることができるかで競うこの種目、野口は最初の課題を「一撃」(課題を一度でクリアすること)するなど、計3課題のうち2つの課題で完登。使用される壁は1つとして同じものはなく、試合前に一度見ることができるだけだ。

大学を中退し、プロに転向。

「どのようなムーブを選択し、身体をどう動かせばいいのか判断しなければならない」(野口)。経験も大きな割合を占めると言われる中での1位は、野口ならではと言ってよかった。

 高いレベルを誇る日本にあって、そのキャリアは一つ、抜けている。

 30歳の野口は小学5年生のとき、海外旅行先で初めてクライミングを経験。その楽しさに魅せられ、競技に打ち込んでいった。

 その後、台頭していった野口は、高校1年生の2005年、初めて世界選手権に出場。2008年には日本人選手として初めてワールドカップ優勝を果たした。

 その後、大学を中退し、プロに転向。

「クライミングのことだけを考えて生きていたい」

「クライミングで強くなるためには(通学は)必要ではない時間だな、毎日クライミングが強くなることとかうまくなることだけ考えて生きていきたいなと思って」

 そして、ボルダリングのワールドカップ年間総合優勝を4度達成するなど、世界有数のクライマーとして活躍してきた。

 迎えた今回の世界選手権で獲得したオリンピックの内定に、野口は涙を浮かべた。

「あと1年、クライミングできることが本当に嬉しいです」

 世界選手権で五輪代表内定が得られなかったら、第一線を退くことを考えていた。代表になるチャンスは世界選手権だけではない。もう1枠は、今後の大会の結果によって決まる。

 ただ、野口は、この大会のことしか考えていなかった。もともと2016年にクライミングの五輪種目採用が決まったときから、競技人生をオリンピックで終えると決め、そこから逆算して進んできた。

ボルダリングの前、不安に襲われる。

 思い描いた設計図の中に、世界選手権でオリンピックを決める、という意志があった。いわば、退路を断って挑んでいたのが世界選手権だった。

 実は1位になったボルダリングの前、不安に襲われていたという。得意とする種目だから、勝負がそこに懸かっていることを自覚していた。そこから生まれたプレッシャーだったのかもしれない。

 だが、いざ試合になると、不安などなかったかのように、高い集中力を発揮した。大学を中退したときの思いが示すように、クライミングに人生を懸けてきた。以前、野口はクライミングへの思いをこう表した。

スポンサーにも恵まれないなかで。

「クライミングをひとことで言うと、いちばん好きなもの。ふだん友達と遊びに行くときでも、絶対にクライミングのことは考えているし、登っていないときでも練習メニューとか感覚とか残っています。クライミングを考えていない日はないので、年間、毎日トレーニングしているイメージですね」

 そんな熱とともに真摯に積んできたトレーニング、誰よりも豊富な経験、そして覚悟。

 覚悟とは、世界選手権に懸けていた決意のことばかりではない。今日のような注目度がなく、スポンサーなど支援先にも恵まれない状況のなかでプロ転向を決めたことをはじめ、これまでの歩みそのものがそうだ。

最初で最後の大舞台。

 まさにこれまでの足取りが融合して生まれた力が発揮されたのが、世界選手権のボルダリングだった。野口ならではの真価を示した瞬間であったし、背水の陣を敷いていたからこその強さを思わせもした。

 念願のオリンピックの切符を現実のものとした今。

「ここから1年間、金メダルを目指して頑張っていきたいです」

 確固とした、堅実な歩みの集大成はどんな姿であるのか。

 最初で最後の大舞台を見据える。

(「オリンピックへの道」松原孝臣 = 文)