千代田区にある麹町中学。

 国会議事堂からも近いこの学校は、かつては「麹町中→日比谷高→東大」という戦後社会のエリートコースのイメージがあった。そして現在は工藤勇一校長の学校改革が大きな注目を集めている。

 おそらくは社会意識が高く、教育への投資も惜しまない保護者が顔をそろえ、生徒の学力レベルも高いのだろう……そう勝手に想像していたが、内実はまったく違うと工藤校長は語る。

「毎年およそ150人が入学してくる中には、親御さんの希望が強く、区域外から引っ越しをしてまで入学してきた生徒が10人から20人くらいはたしかにいます。しかし、今年の入学生を例に挙げれば、およそ110人の生徒は中学受験で第1希望の学校に入れず、第2希望以下で麹町中に入学してきた生徒たちです」

 この数字には驚いた。

 麹町中が、受験を失敗した生徒が大半だったとは……。

成功体験がない子どもたちの特徴。

 工藤校長によれば、中学受験で成功体験を得られなかった生徒たちは、「負」のものを引きずっている場合が多いという。

「夜の10時、11時まで勉強していたのに成功体験が得られなかったわけですから、勉強に疲れ、『自分はダメなんだ』と感じている生徒が多いように思います。しかも小学校時代に塾に通ったり受験校を決めるにしても自分で決定していなくて、主体性を失ってしまった子どもも多いです。

 手をかけられすぎた子どもは、その結果、与えられるものに対して不満を感じ、親、先生、周りの子どもたちに対して批判をするのが癖になっています。このような生徒が多いので、中学1年の間は『リセット作業』に費やされます」

 劣等感を抱えて入ってきた1年生には、なにかと対立軸を作り出し、人を攻撃することで自分を守ろうとする生徒が多いという。

「正直なところ、1年生の間は生徒同士で傷つけあうこともありますね」

 おそらく、生徒の親も傷ついているはずだ。

「どうして鉄棒やマット運動はあるの?」

 そうした環境で工藤校長の改革は2014年にスタートした。

「最初の1年目のカリキュラムは、前任者が決めたものでした。その中で教職員に課題を挙げてもらうと、340項目にものぼりました。そこから改革をスタートさせたんです」

 課題解決のために工藤校長が重視したのは、

「みんなが合意できる『最上位概念』、『上位目標』を決めよう」

ということだった。

「ここでは、体育を例に考えてみます。私は体育の教員に『どうして体育で鉄棒やマット運動があるの?』と質問したことがあります。先生でも納得できる答えを持っている人は少ないですよ。

 それなら、スポーツの最上位概念は何か? というところに立ち返ると、障害があってもなくても、運動が上手でも下手でも、スポーツをする楽しさを実感することに収斂していくんです。

 鉄棒を無理矢理やらされて、体育、そしてスポーツが嫌いになってしまっては元も子もありません。日本の教育の問題は、鉄棒をやらせるという手段が目的化していることなんです」

宿題は、手段が目的化した象徴。

 学習面では、平成30年度(2018年度)から定期テストと宿題を全廃し、理解を確認するための単元テストと、実力テストだけが行われるようになった。宿題の無意味さを、工藤校長はこう話す。

「宿題は生徒にとってやらされるものです。押しつけて身につくものはほとんどありません。教員にとってみれば、評価をつけるために材料として使っている面がありますから、宿題は“大人が作り出した問題”なんです。宿題という手段が目的化してしまい、いろいろな問題を引き起こしてしまったわけです」

「武道の一斉履修はナンセンス」

 工藤校長によれば、これまでの日本は「履修主義」に縛られていたという。全員が同じ単位を取得し、卒業していく。

「たとえば、私は武道が大好きですが、全員が体育で武道を一斉に履修するとか、ナンセンスですよ」

 これからの時代は、「習得主義」への移行が日本の教育にとって大切だという。

「教育の最上位概念はなにかと考えていけば、生徒たちが将来、よりよく生きていくことが大切なわけです。学校での時間はそのための準備期間です。それを実現させるためには、個別に最適化した教育が必要になってくるのは明らかでしょう」

先生が教えずに、苦手教科を克服する。

 麹町中での、数学が苦手な生徒に対するアプローチが興味深い。教員はほとんど教えず、あくまで補助者、支援者で、生徒が主体的にタブレット教材の「Qubena」で問題を解いていく。

 苦手な生徒に、先生が教えない?

「その通りです。教材の問題を解いていくと、AIがその生徒の苦手な部分を判断し、弱点分野を克服する課題を出すんです。Qubenaでは小学校1年生の算数に戻って復習することも可能ですから、どのステージからでも復習が出来ますね。それを繰り返していくと成績の改善が見られ、最終的には教員が教えるクラスにまで上がってきます」

 また、麹町中では全員に配布する問題集の購入もやめた。驚いたのは、塾の問題集を学校に持ち込んでもOKなことだ。

「リセット期間を終えた生徒たちは、学校でのあらゆる課題に対して、当事者意識を持ってあらゆる問題に取り組むようになります。学習面でも自分で課題を見つけられるようになります」

生徒にとって最適な方法が最優先。

 自分にとって最適の教材が塾のものであれば、それを学校で解いても構わないわけだ。

 これはとても理にかなっている。

 受験を考えると、私立難関校はいうに及ばず、都立高でも日比谷、国立、西といった学校では国語、数学、英語の3教科についてはオリジナル問題を作成する。都立高は、こうした「自校問題作成校」と「共通問題を使用する学校」とに分かれる(理社はすべて共通)。

 難関校にチャレンジする生徒にとって、授業中に共通問題を解くことはストレスにしかならないし、結果、学校をナメるようになる。

「塾の問題集でいいんですよ。それぞれの生徒たちにとって最適なことはなにか考えれば、自ずと導かれる答えです。学力の違う生徒たちに、同じ問題集を与えることが無意味ですよ。

 塾については学校として勧めているわけではないのですが、反対もしません。通っている生徒たちに、『塾が言っていることはすべて1人1人に合っているわけではないからね。自分で判断するように』とは伝えていますけどね」

(「スポーツ・インテリジェンス原論」生島淳 = 文)