<!--StartFragment -->バドミントン日本女子ダブルスの歴史を切り開いてきた4人は、
互いに刺激を受け、切磋琢磨しながら成長し続けてきた。
藤井&垣岩が引退しても、その強い絆は変わらない。
彼女たちが紡いだ物語は東京へと続いていく。
Number977号(2019年4月25日発売)の特集から全文掲載します!

 グースの羽は、ふたりとふたりの間に落ちた。ゲームセット。その瞬間、高橋礼華と松友美佐紀の目から熱いものが落ちた。

 その涙は藤井瑞希と垣岩令佳を戸惑わせた。この敗戦を最後に、コートを去るのは自分たちなのに、なぜ目の前のペアはこれほど激しく泣いているのだろう。

「先に泣くなよ……」

 垣岩は、小学生の頃から仲の良かった高橋にそう言うと、こらえ切れずに号泣した。

 2018年11月29日。バドミントン日本一を決める全日本総合選手権2回戦。

 ロンドン五輪で銀の「フジカキ」とリオ五輪で金の「タカマツ」という、日本ダブルスの歴史をつくってきた両ペアが戦った最後の試合。気づいていなかった絆に気づかされた、記憶すべき瞬間だった。

ロンドン五輪を直視できなかった。

 2012年。まだ22歳だった高橋と、20歳だった松友はついに訪れた日本バドミントンの夜明けを直視できなかった。

 ロンドン五輪、ウェンブリー・アリーナ。弾むようなフットワークでシャトルを自在に散らす24歳の藤井と、170cmに迫る長身からジャンピングスマッシュを打ちおろす23歳垣岩のペアは1ポイントごとに笑いあい、まるでダンスを楽しむように勝ち進んだ。デンマーク、カナダと世界の強豪を倒し、決勝は最強・中国と激戦を演じた。

 この国の、この競技に初めてもたらされたメダルが銀色に輝いていた。その眩しいほどの夜明けは、遠くおよそ9300km離れた日本の深夜にも中継されていたが、高橋と松友はそれを見ることができなかった。

「すごいなという反面、悔しい気持ちが強かったので見れていなくて……」(高橋)

「ちらっとだけ見た記憶があります。全部は見ていません」(松友)

 それは当時、ふたりにとって抱いて当然の、むしろ抱くべき感情だった。

パートナーが唯一の味方なんです。

 バドミントンにおいて、真に過酷なのは五輪本戦よりも「レース」と呼ばれる選考過程である。

 ダブルスの場合、ナショナルチームに選ばれた最大4組のペアがポイント上位2つの椅子をめぐって、世界大会を転戦する。その間、宿泊するホテル、練習会場、移動のバス、すべてを共にする。常にライバルを視野に入れざるをえない環境で、緊張感にさらされ続けるのである。

 藤井はかつて、所属する実業団の先輩である「スエマエ」こと末綱聡子、前田美順が代表の遠征から戻ってくるたびに痩せ細っていく様を見て、その過酷さを知った。

「パートナーが唯一の味方なんです。他のペアと打ち解けることはまずありません。会話くらいはしますけど、その中でも絶対に手の内は明かさないというピリピリした空気です。だから私は技術よりもパートナーとの信頼関係が大事だと思って、そういう話をたくさんしました」(藤井)

 高校の1年後輩である垣岩が遠慮なく意見を言えるようになるまで、ホテルの相部屋で何時間も向き合った。常に一緒だった。

お互いに干渉しない2人の関係。

 垣岩は、1歳下の高橋とは小学生の頃からジュニアの大会や合宿で意気投合し、互いを下の名前で呼びあうほどの仲だったが、そんな高橋とさえ、代表での活動中は一度も食事にいったことはなかった。

 隣にいる互いを見つめ合うことで強くなった「フジカキ」に対し、「タカマツ」はそれぞれが自分自身を見つめることによって強くなっていくようなふたりだった。

「常に頑張っていた印象があります。インターバル走という体力的にきつい練習があるんですが、高橋は大抵1位でしたし、松友はすべて終わった後、いつもコーチをつかまえて練習していました。あのふたりはお互いに干渉しないというか、練習以外では一緒にいないことも多いので、大丈夫? と思うこともありました」(垣岩)

 ふたつの翼で翔んでいくしかない過酷な旅の中、それぞれのペアの在り方がある。そして、自分たちも気づかぬうちに、ふたりとふたりの視線は交錯していた。

レース中、藤井が高橋に言われたこと。

 ロンドンへのレース中、藤井は移動バスで高橋にこう言われたのを覚えている。

「私たちは次のオリンピックレースのために藤井さんたちをしっかり見ています」

「他のペアに胸の内を話しづらい空気の中で、そう言われたのはすごく印象にあります。彼女たちは代表で最年少だったので出られる大会も限られて、ロンドンには出場できませんでしたが、すでに実力はトップレベル。ああ、いずれ日本を引っ張っていくんだろうなと思いました」(藤井)

「それまで漠然とオリンピックでメダルをと思っていた私たちが、絶対に金メダルを獲ろうと思ったのは、あのふたりが銀を獲ってからなんです。実際に対戦するとこっちのプレーが見透されている感じで勝てる気がしませんでしたが、私たちにしかないものもあると思っていました。私たちはお互いが自分のことに集中して、やるべきことをやれば、噛み合うんです」(高橋)

 ひたすら、ふたりだけの翼を信じ、羽ばたかせていたあの頃が、日本バドミントンの次の物語へとつながっていく。

絶体絶命で松友は微笑んでいた。

 2016年。リオデジャネイロ五輪・女子ダブルス決勝。高橋と松友はリオセントロ・パビリオンのコートに立っていた。

 デンマークの長身ペアとの激闘は最終第3ゲームにもつれ込み、最終盤で16−19とリードされていた。崖っぷちである。

 この時、松友は不思議な感覚に包まれたという。何も怖れることなく、前へ前へと踏み出していけるようなものだった。

 ダブルスの前衛に求められるプレーで最も難しいのがネットにつめていくことだと言われる。初速300kmを超えるスマッシュが飛び交う中、配球とタイミングを読み、前に出る。松友が世界に誇る技術だが、最大の敵となるのが怖れだ。それが消えた。

 あとから周りに聞いたところ、松友はその絶体絶命のコートで微笑んでいたという。

「自分ではわからないんですが、そう言われることがあります。純粋に勝負にいっているからこそ、相手に読みを外されて決められても嬉しくなったりする。それが私の一番良いところかなと思うのですが」(松友)

高く高く翔んだ果てに見えた絶景。

 思えばそれは、小学3年生の時、1つ上の高橋と初めて試合をした時に感じたものかもしれない。遥か遠くなった記憶を、松友は後に映像で見たことがある。そこには一方的に負けながらも、次々とコートに叩きつけられるシャトルを嬉しそうに何度も何度も拾い上げる少女の姿があった。

「私は高校を卒業した後、シングルスもやらせていただいていて、どちらかというとダブルスの方が難しくて、世界トップとの差を感じていたんですけど、だからこそ頂点までいけたらどれだけ楽しいんだろうと。

 私が前で勝負して上がった球を、先輩が後ろから、自分では絶対に見られない軌道の球で決めてくれる。先輩は自分にないものをたくさん持っています。自分ひとりでは見られない景色が見られるから、ダブルスをやっているのかもしれません」(松友)

 崖っぷちを笑う松友が、前へ前へと出るたびにスコアが希望を刻んでいく。

 17−19、18−19、19−19……。

 奇跡のような5連続ポイントで逆転勝ち。黄金のメダルと一番高く掲げられた日の丸は、ふたりの翼で、高く高く翔んだ果てに見えた絶景だった。

苦しむタカマツへ、藤井の助言。

 藤井と垣岩は日本の深夜、その光景を見ていた。すでにペアを解消していたが、ふたりに共通したのは、高橋と松友がこのまま翔び続けられるのか、という憂慮だった。

「私はロンドンの後に出た大会で、試合中に怪我をしたんですが、その瞬間に、ああ、これでもうフジカキとして戦わなくていいんだと、思ってしまったんです。楽しくやってきたはずの私たちが、相当な重圧を受けていたとわかりました。メダルを獲ってから、また代表として活動するというのは私には無理でした。だからペアを解消して、(日本代表としての第一線を)退いたんです」(藤井)

 事実、リオ後の高橋と松友は煩悶した。日の丸をつけて世界を転戦するが、結果が出ない。途端に黄金のメダルが羽を重くする。心に火種は見当たらず、どこに向かって翔べばいいのかわからない。

 そんな時期に藤井がこんな言葉をくれた。

「私たちはロンドンの後、解散してしまったけど、一番をとったのに、もう一度そこを目指していること。まだふたりでやっていること自体がすごいことなんだよ」

ふたつのペアのラストマッチ。

「そう言われて、初めて肩の荷が下りたというか、今まで抱えていたものがスッと落ちたんです」(高橋)

 高橋と松友は東京五輪へ、まだ誰も見たことのない景色を見にいこうと決めた。

 一方、藤井は故郷・熊本の震災をきっかけに垣岩とペアを再結成し、2018年シーズンを限りに引退することを決めた。

 そんなタイミングで、ふたつのペアのラストマッチが実現したのだった。

「私たちは予選からでしたが、本選に上がれば当たるだろうと、運命というか、通じるものがある気がしていました」(藤井)

 師走近づく駒沢オリンピック公園が高揚感に包まれていた。最後のゲームが始まる。高橋と松友はシャトルを弾くたび、あることに気づいていった。

「もちろん勝負なんですけど、どこかでふたりになら負けてもいいと思っている自分がいました。他のペアには絶対負けられない。けど、このふたりになら……」(高橋)

 高橋はリオの後、自分たちを縛っていたものが何か、見えた気がした。

忘れかけていたリオでの感覚。

 一方、松友には忘れかけていた、あのリオでの感覚がよみがえっていた。

「試合をやっていて楽しかったんです。ああ、あの頃はやっぱり純粋に、藤井さんと垣岩さんを相手にこう決めたいとか、こういう展開で点を取りたいとか、怖れずに前に出て、勝負しにいっていたことを思い出しました。忘れていた大事なものを、思い出させてもらいました」(松友)

 悔しくて目を背けたロンドンから、かつてない絶景を見たリオへと、自分たちをつれていってくれたものが何だったのか。ふたりの翼、その羽の一枚、一枚が何によってできていたのか。それがわかったのだ。

 涙の理由はそこにあった。

「ありがとうございました。私たちはあともう少しだけ頑張ります――」

 去りゆくふたりにそう告げて、おそらくかつてないほど過酷な東京の空へ、ふたたび羽ばたきを始めたのだった。

(Number977号『[未来へ続くメダルロード]藤井瑞希&垣岩令佳×高橋礼華&松友美佐紀「トップペアが紡いだ絆」』より

(「Number PLAYBACK」鈴木忠平 = 文)