アメリカのフィギュアスケート界が、性的虐待問題で大揺れに揺れている。

 その発端は、今年の1月に元全米ペアチャンピオン、ジョン・コフリンがUSセンター・フォー・セイフスポーツ(以下、セイフスポーツ)およびUSFSA(米国フィギュアスケート連盟)から暫定的な活動停止処分を受けたときだった。
 
 セイフスポーツとは、水泳、女子体操などで相次いだ性的虐待告発に対応すべく、2017年に米国オリンピック委員会が設立した監視団体である。アスリートへの性的虐待のみならず、暴力や精神的な虐待に遭った被害者の駆け込み寺として、設置された。

 コフリンは活動停止を言い渡された翌日の1月18日、カンザスシティの父親の自宅で自殺した。このショッキングなニュースは全米で大きく報道され、次第に詳細が明らかになっていった。

元パートナーからの告発。

 コフリンはセイフスポーツを通じて3人の女性から性的虐待の告発を受けており、その中に被害当時未成年だった者も混ざっている、とUSトゥデイが報道した。

 本人は告発を受けた後、警察官をしていた自分の父親に「事実無根」だと主張したという。だが彼が自死した1カ月後にセイフスポーツは本件に関して「(容疑者死亡により)アスリートへの脅威は消滅した」という理由で、捜査の打ち切りを発表。真実は永遠に藪の中かと思われた。

 新たな展開が見られたのは、2019年5月。14歳から17歳まで彼とペアを組んでいたブリジット・ナミオカがソーシャルメディアを通して、犠牲者の一人は自分であったことを告白したときのこと。ペアを組んでいた当時、2年間にわたってコフリンから性的虐待を受けていたという。

「無実の人は自殺などしない」「彼は10人以上の少女を苦しめてきた」と主張した。それまで「疑わしきは罰せず」のスタンスを貫いてきた彼のサポーターたちも、元パートナーからの生々しい告白に衝撃を受けた。

ワグナーが17歳、コフリンは22歳だった。

 そして8月1日、2016年世界選手権女子銀メダリストのアシュリー・ワグナーがUSトゥデイに、彼女自身もコフリンから性的虐待を受けたことを告白した。

 彼女によると、それは2008年のコロラドでの合宿中だったという。ワグナーは17歳、コフリンは22歳だった。

 当時ワグナーは地元出身のスケーターに誘われて、ホームパーティーに参加。仲間はずれになりたくなくて、その夜は初めて飲酒も試したのだという。車でホテルに連れて帰ってくれる人が見つからず、その家に泊まることになった。その夜中、コフリンが彼女のベッドに忍んで来たのだという。

ワグナーの告白。

「何が起きてるのか理解できず、私は身動きしませんでした。彼はただ寝る場所が必要なのだと思ったので。でも彼が首にキスをしはじめたとき、私はそのうちやめてくれるだろうと願って眠っているふりを続けました。でも彼はやめなかった。身体を触られはじめたとき、私は目を覚ましたらやめるだろうかと身動きをしてみました。でも彼はやめなかった。(中略)私は決意をしなくてはなりませんでした。それで目を開けて彼の手を押さえ、『やめて』と言ったのです。彼は私の顔を数秒眺めて、静かに部屋を出て行きました。わずか数分の出来事だったけれど、それから長い間この体験は私を苦しめました」

デートレイプ被害者に共通する思い。

 このワグナーの告白に対し、「なぜ今になって」という声もある。

 だがワグナーは、当時まだシニアとして競技で活動しはじめたばかりで、「問題を起こす子だと思われたくなかった」また「誰も信じてくれると思えなかった」「彼は誰からも好かれていたし、私自身もそれまで好感を持っていました」と説明している。

 これは多くのデートレイプの被害者にも共通する思いではないだろうか。

 だが少なくともコフリンはワグナーに拒絶されたら行為を中断し、黙って部屋を出て行った。

サポートの必要性を訴えた。

 ワグナーが今になって告白したのは、もう故人になったコフリンを鞭打つためではない。フィギュアスケートというスポーツの内部の現状を世間に訴えることにより、今から活動をしていくまだ年端もいかない少女たちが、こうした目に遭わないよう、きちんとしたサポートの必要性を訴えたのである。

 長い間アメリカの女子を牽引して来た彼女が、後輩たちのためにあえて不快な思い出を公表したのだ。

エリートスケーターたちの特殊な環境。

 ワグナーの告発が警告しているのは、エリートスケーターという特殊な環境にいる少女たちの現実である。

 筆者は15歳でアメリカに留学して以来、現在までずっとアメリカで暮らしてきた。高校生活は3年間寮で暮らし、良いとか悪いという判断ではないが、アメリカのティーネイジャーたちが、どれほど性的に早熟であるかを目の当たりにした。

 一般のアメリカの17歳だったら、おそらくベッドに忍んでこられた時点で、嫌な相手なら即「出てって」とためらいなく口にしただろう。

 ワグナーを批判しているのではないことをくれぐれも強調したいが、「やめて」と口にするまでにこれほどのためらいを感じたというワグナーは、普通のティーネイジャーが過ごすような思春期を体験してこなかったのに違いない。

 これは彼女に限らず、多くのエリートスケーターたちが、どれほど一般社会から隔離された環境で育ってきたのかという意味でもあると思う。特殊な才能を持って厳しい訓練を続けていく一方で、一般の子供たちが当たり前に経ていく成長過程を犠牲にしてきたという一面もあることは否定できない。

「とても19歳の部屋とは思えなかった」

 20年ほど前、知人のアメリカ人女性テレビプロデューサーが、あるアメリカの女子スケーターの自宅を撮影でおとずれたときの経験について語ってくれた。

 当時19歳だったそのスケーターの部屋が、まるで子供部屋のようで驚いた、と彼女は筆者に語った。

「カーテンもベッドカバーもピンクで部屋中ぬいぐるみだらけで、とても19歳の部屋とは思えなかった。彼女の話し方も、まるで少女のようでした」

若い選手たちをどうやって守るのか。

 筆者にはそれほど驚きではなかったが、普段はフィギュアスケートというスポーツとはまったくかけ離れた世界にいた彼女にとって、かなり衝撃的だったのだという。

 この業界にいると、時にはスケーターたちの自由奔放な恋愛関係の噂を聞かされることもある。だがそれは一部の選手であり、多くは「隔離された環境に育ち、精神的に幼い部分が残る」という、性的虐待の被害を自ら防ぎにくいティーネイジャーたちであるのが現実だ。

 こうした若い選手たちをどうやって守っていくのか。

 少なくともアメリカでは、セイフスポーツという駆け込み機関が発足した。これは日本にとっても人ごとではなく、全世界のスポーツ関係者にとって大きな課題であると思う。
 

(「フィギュアスケート、氷上の華」田村明子 = 文)