大橋悠依(イトマン東進)という選手は、どこまで実直で、素直な選手なのだろうか。

 28日に終幕を迎えたFINA世界選手権(韓国・光州)、女子400m個人メドレーで銅メダルを獲得した。

 そのレース後、「来年に向けて意味のある銅メダルだったと思いますし、今までやってきたなかでも、思い出に残る試合だと思います」と話したと同時に、こんなコメントも残していた。

「気持ち、というよりも、心なのかもしれません。表現が難しいんですけど……。自分のことをまだ全然ダメなんだ、と頑張るためにそう思っていて。それがすごく、生活するのもしんどくなるくらいでした」

世界選手権メダル獲得のために。

 2年前のハンガリー・ブダペストで行われた世界選手権の200m個人メドレーで銀メダルに輝いた大橋は、最終日の400m個人メドレーでは力を発揮できずに4位とメダルに届かず、涙を流した。

「メダルを獲りたかったですし、自分でももう少しできると思っていたので、すごく悔しいです」

 あれから2年、世界選手権で2種目メダルを獲ることだけを考えてトレーニングに励んできた。2018年のパンパシフィック水泳選手権の200m、400m個人メドレーの2冠も、アジア競技大会の400m個人メドレーの金メダルも、すべてはブダペスト世界選手権で流した涙へのリベンジを果たすためだった。

 しかし、今シーズンに入ってから思うように調子が上がらない日々が続いた。4月の日本選手権でも「良い練習はできていましたし、状態は良いと思っていたんですけど、あまり泳ぎがしっくりこないというか、自分に期待しすぎたのかもしれません」と、結果を受け止めつつ、どこか後ろ向きな発言があった。

真面目さが気づけばマイナス思考に。

 それは、かつて感じたことがないプレッシャーからくるものだった。2年前、初めて日本代表に入り、ノンプレッシャーのなか勢いで獲得したメダル。さらに2018年にも結果を残したことで、大橋にかかる周囲の期待は、大橋自身が予想していたものよりもはるかに大きかったに違いない。

 真面目な大橋は、その期待に応えようとした。全身全霊をもって、自分の持てる力、自分ができることすべてを懸けて、周囲の期待に応える泳ぎをしようと努力してきた。辛い練習に立ち向かうため、自分を鼓舞するため、『自分はもっと頑張らないとダメなんだ』と、自分で自分を追い込むことで、気持ちを奮い立たせていた。

 しかし、今シーズンに入ってから自分が納得できる泳ぎができないレースが続くにつれて、“自分はやれる”という自信よりも、“自分はダメ”というマイナス思考に覆われていってしまった。

 そして光州に入っても、マイナスイメージを払拭できていないことが、試合前の話からもよく分かった。

「爆発力があってもなくても、自己ベストは出さなきゃ“いけない”ので、しっかりと練習の成果を出したいと思います」

失格を含めて負の連鎖だった。

 200m個人メドレーで失格になったあとも同じだった。

「前向きになれなくて、気持ちを切り替えなきゃと思ってもそれができなくて。できないから、ダメなんだの繰り返しでした」と、見えない出口を求めてさまよう毎日。そうこうしている間にも、400m個人メドレーの日が迫ってくる。その焦りもあり、どんどん深みにはまっていくばかりだったのだろう。

 真面目で、自分のことを理解し、客観視できる選手ほど、深みにはまりやすい。どこかで『悩んでいてもしょうがない! やるしかない!』と切り替えられれば良いのだが、冷静に自分の状態が分かるからこそ、自分はダメだと追い込んでしまう。まさに、大橋は負のスパイラルに迷い込んでしまったのである。

大橋を救ったスタッフのひと言。

 そんな大橋を、代表チームを長く支えてきたスタッフがかけた、あるひと言が救う。

「自分の頑張りに失礼がないように、頑張りをムダにしないようなレースをしないと、もったいないよ」

 いったい自分は何のために水泳をやっていたのだろう。誰のために水泳をやっていたのだろう。

 みんなの期待に応えることは大切かもしれない。でも泳ぐのは自分であり、結果を出すのも自分。それならば、周囲の期待がどうこうではなく、自分は頑張ってきたという自負があるなら、それをただ出し切れば良い。目から鱗の言葉に、大橋の目が覚めた。

自分に打ち克って掴んだメダル。

 400m個人メドレーの予選、4分37秒23の2位で決勝に進んだ大橋は「思ったよりも前半から身体が動きましたし、とにかく自分を信じる、といっても簡単じゃないですけど、今やれることを全部出して、出し切ったと言えるレースがしたい」と、今までの心情が嘘のように晴れやかな表情で答えた。

 運命の決勝レース。前半から世界女王のカティンカ・ホッスー(ハンガリー)に食らいつく。泳ぎは、いつもの大橋に比べるとキックに力が入っており、軽いバタフライではない。

 背泳ぎに入ってもホッスーと並んだままだ。平泳ぎに入ると、少しホッスーから離れてしまい、後ろからはロンドン五輪の金メダリスト、葉詩文(中国)が迫ってくる。

 それでも大橋は焦らず、自分の力を出し切ることに専念。最後の自由形は、男子キャプテンの瀬戸大也から「脚がもげてもいいからキックを打て」と言われた言葉を守り、とにかくキックを打ち続けた。

 惜しくも最後の15mで葉にかわされてしまったが、4分32秒33の今シーズン最速タイムで銅メダルを獲得したのである。

「すごく自信をもって泳げた」

「ずっと追い込んで練習してきた自分の頑張りに対して、自分が試合で応えてあげようと思って気持ちを切り替えて臨みました。泳ぎに関しては、すごく自信を持って泳ぐことができました」

 初めて感じた重圧に悩みながらも、自分自身で答えを見つけた大橋。今回の銅メダルは、彼女にとって金メダル以上の価値があったに違いない。

 そして、本物のトップアスリートとしてさらなる成長を遂げるための第一歩を踏み出した瞬間が、この世界選手権の400m個人メドレーだった。

 来年の東京五輪で、輝く笑顔を見せながら、大橋はきっと、私たちにそう笑って話してくれることだろう。

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(「オリンピックPRESS」田坂友暁 = 文)