競泳競技が21日からスタートした、FINA世界選手権(韓国・光州)。

 初日からアダム・ピーティー(イギリス)が100m平泳ぎで人類初の57秒の壁を突破する、56秒88という驚異的な世界記録を樹立したり、女子自由形中長距離の女王ケイティ・レデッキー(アメリカ)が400m自由形で敗北を喫するなどの話題が世界中を飛び交っている。

 同時に、男子400m自由形で4連覇した孫楊(中国)に対してマック・ホートン(オーストラリア)が表彰台を共にすることを拒否するなどのネガティブメッセージがあったり、女子100mバタフライで表彰台に上がった3人が「Ikee・NEVER・GIVE UP・Rikako」と手のひらに書いてメッセージを送るという、スポーツマンシップの鑑とも言える行動があったりと、ニュースには事欠かない。

トラブルで3度のスタートやり直し。

 そのなかで、シモーネ・ザッビオーニ(イタリア)という選手が3回ものスタートのやり直しをさせられた。それは男子100m背泳ぎの予選での出来事だった。

 バックストロークレッジというのは、背泳ぎのスタートの際に足をかける装置のこと。2014年から採用されて以来、背泳ぎのスタートで足を滑らせる選手はほぼいなくなった。

 ところが、ザッビオーニがスタートの際に足を滑らせて、ひとりレースを中断。原因は、本来固定されるべきバックストロークレッジのベルトが動いてしまい、スタートできなかったのである。

 このバックストロークレッジは、足をかけるバーの高さを細かく調整できるように作られている。

 初期のものは手動だったが、現在は自動でベルトを動かせるようになっていた。この自動でベルトを巻き上げたり固定したりする部分に不具合があったようで、スタート時にバーに力が加わるとベルトが一気に緩み、バックストロークレッジ本来の役割を果たさなくなってしまっていたのだ。

女子のレースでも起きた不具合。

 不具合があったのは、ザッビオーニだけではなかった。男子の前に行われた女子の予選でも同じように緩むことを指摘する場面があった。さらにトリニダードトバゴのディラン・カーターもザッビオーニと同様のトラブルに遭い、レースをやり直した。

 結果として、やり直した2人が予選を通過するタイムで泳いでしまったため、16位までが進める準決勝を18人で行うという対応策がとられた。

 夜の準決勝前、チームには『Back Stroke Ledges will NOT be in use in the finals tonight.』と書かれた紙が配られた。バックストロークレッジは今夜のレースでは使わないという通告だ。

 それに反応した各国のコーチたちが抗議を行い、結果的にバックストロークレッジが使われることになったが、これ以上ベルトが伸びないという状態にしておき、スタート台のバックプレートに固定した状態で使用する、という対応だった。つまり、バーの高さは固定された状態になったわけだ。

「みんな条件は一緒ですから」

 当然、日本代表の入江陵介もそのトラブルの渦中にいた。予選の6組目を泳いだ入江は、「(レッジを)引っ張らないように」と声をかけられたという。

 しかし、入江は幸いにも不具合に遭うことはなく予選も準決勝もスタートでき、6位で決勝進出を決めた。その入江は、次のようなコメントを残している。

「さすがに予選が終わった直後は、選手間でも、あれはちょっとないよね? という会話はありました。ただ、準決勝の前にはオフィシャルにアナウンスがありましたし、使えないならバックストロークレッジはなくてもいいやって思っていました。みんな条件は一緒ですから。気にしててもしょうがないので」

 同様に、女子100m背泳ぎを8位で決勝に進んだ酒井夏海も「(レッジについては)特に気にしていません」と話した。

トラブルに動じない心が入江の強さ。

 確かに、2年に一度の大舞台であり、世界最高峰の水泳大会であることを考えたら、このような不具合やトラブルはないように準備しなければならない。しかし、100%完璧な運営ができる大会はないし、トラブルが起こる可能性をゼロにはできない。

 大切なのは、そのトラブルにどう対処するか。そのなかで、自分が最大限力を発揮するためにどう準備すれば良いかを考えることだ。

 スタートできなかったザッビオーニは抗議をして泳ぐことを諦めなかった。カーターもそれを見て抗議を行い、再度泳ぐチャンスを得た。泳ぐ本数が増えてしまったことは良くないが、それでも世界の舞台で決勝に進めるチャンスがわずかでも残されているなら、それに対して全力を尽くすのが最適解である。

 少なくとも彼らはそうしたし、入江はそんなトラブルに動じず、使えないなら使わないだけ、とすぐに気持ちを切り替えてレースに臨んだ。酒井も同様だ。

世界で戦うマインドを示した。

 自分が対応できないものに憤りを感じ、いつまでも不満を言っていても意味がない。天気が悪いことを嘆いていても、天気は変わらない。そんな嘆きに時間を費やすならば、自分ができる準備を淡々と進めたほうが効率的だし、結果にもつながる。それを入江は自然とやっていたのである。

 厳しい言い方をすれば、その程度で心が乱されるようであれば、世界と戦うマインドではないことを自ら証明してしまっているようなものだ。

 入江はバックストロークレッジが使えないことを前提として準備を進め、自分の泳ぎの精度を上げることに尽力した。入江が世界のトップ争いを長く続けていられる理由を目の当たりにした瞬間だった。

 あらためて、この先選手たちに負担を強いるような不具合やトラブルが起こらないこと、起こさないことを切に願う。

(「オリンピックPRESS」田坂友暁 = 文)