8日、ソフトバンクの2年目アンダーハンド・高橋礼投手が、セ・リーグ首位の広島カープ戦に先発。7回を2点に抑えて6勝目をあげた。

 6月に入って交流戦が始まっても、投げればほとんど勝ちのありがたい“流れ”は変わらないようだ。 

 高橋投手が勝って新聞の大きな見出しになるたびに、思い出す話がある。

 自分の学生時代のことだ。

 私は高校時代、アンダーハンドの投手とバッテリーを組んでいた。

 アンダーハンドなら都内でも1、2と言われ、膝と股関節、足首が“軟体動物”だったから、身長のわりに大きく踏み込んでグッと体を沈ませて、文字通り「潜水艦(サブマリン)」みたいな姿勢で腕を振っていたから、ボールを持った右手の甲をよく地面にこすって擦りむいていたものだ。

「物理的にボールがホップするなんてありえないってよく言うけど、あれはオーバーハンドのことで、アンダーは下から上に向かって投げるんだから、ほんとにホップしてるんだ」

 都内1、2のアンダーハンドは、よくそう言って鼻をふくらませていたが、一方で学年でも1、2の学業成績を誇るヤツだったので、きっとそうなんだろうと思って聞いていた。

「だって、オレが地面の高さから投げて、しゃがんでるお前の胸とか顔の高さにきまったら、ホップしてるに決まってるじゃないか」と、オレは一度も間違えたことがないみたいな顔で笑っていたが、捕手の私としては、そんな理屈よりバッターがなかなか打てないボールを投げてくれれば、それでよかった。

下から上に動くものは見慣れていない。

 そんな彼が、あるときこんなことを言っていた。

「アンダーハンドは得なんだぜ」

 その理由がなかなか面白かった。

「バッターが高さを間違えてくれるんだ。高さを間違えるから、打ち損じになるんだ。世の中に、上から下に落ちてくるものって、いろいろあるだろ。雨でも雪でも、上から下に向かって動くものを見るのは慣れている。だから、オーバーハンドのボールはちょっとぐらい速くても、そのうち打たれるんだ。

 でも、下から上に浮き上がってくるものって、考えてみたらなかなかないんだよ、世の中に……。だから、アンダーハンドのボールの動きは見慣れていない。たいしてスピードもないのに、オレのボールがなかなか打たれないのは、そこんとこだと思うんだ」

ピッチングは、どこで力を入れるか。

 その後大学に進んで、ブルペンでピッチング練習の相手をした中で、2年先輩のアンダーハンドの投手がいた。

 この人は、高校のときの相手よりもっと「サブマリン度」がはげしく、左足を踏み込んでテークバックをとって、いざ腕を振ろうという瞬間には、自分の胸が地面にこすりそうになっていた。

 北陸の雪深い山間の町の出身の人だった。背は170センチあるかないかでも、ドッシリとしたいかにも「日本人体型」。その代わり、ほぼ180度開脚の前屈で上半身がベタッと地面に密着していた。

「オレのこの柔軟性は、冬の雪下ろしとスキーと、掘り便所のせい」

 そう言って笑っておられた。

 無口な方だったが、一度だけ、自分のアンダーハンドの極意のようなことを話していたのを覚えている。

「ピッチングっていうのは、どこで力を入れるかで、ボールの力の入り方が変わってくる。剛腕とか本格派っていわれるピッチャーは、スピードを出したいからどうしてもテークバックから力が入りやすい。そうすると初速にスピードが乗りやすい」

球速と打ちにくさは同じではない。

 そのアンダーハンドの2年先輩は、どう頑張ったって130キロも出ていなかったろう。当時はまだ、スピードガンなんてものはなかった。

「だからオレは、バッターの手元、つまりホームベースの上でピュッと速く感じるまっすぐを投げたい。そこでバッターを詰まらせるんだ。それにはな……最後のところなんだ。ボールを放す最後の最後で、ピュッとしっかり強く投げる。そのためには、そこまでどれだけ力を抜けるか。アンダーハンドっていうのは、リリースの最後の瞬間までにどれだけ“脱力”できるか……そういう作業だと思うんだ」

 当時、私が所属していた大学チームには、スピードガンで測ったら140キロ後半ぐらい軽く出せる投手が3人はいたと思う。

 それでも、その130キロも出ないはずのアンダーハンドの2年先輩は、3年春のリーグ戦にはローテーションに入り、秋にはその手元で伸びるように見える速球とスライダーを絶妙なコントロールで両サイドにピシッピシッときめて、気がついたらチームでいちばん安定感と信頼性を持った絶対的な「エース」に君臨していた。

ソフトバンクは「打ちにくさ」を見る。

「もしスピードガンというものがなくてもこのピッチャーはドラフトで指名されるのか、ウチはそういう視点でもピッチャー見てますから」

 昨年、高橋礼投手が一軍で頭角を現し始めた頃、ソフトバンクのあるスカウトのかたが、こんなことを話してくださった。

「今は確かにスピード全盛で、チームによっては数字で足切りしてるとこもあるらしいですが、要はバッター目線で見たときに、このピッチャーは打ちにくいのか、打ちやすいのか。そういう視点があったから、高橋を2位で指名できたのかもしれないですね」

 東都大学野球の専修大学で、1年生からリーグ戦のマウンドに上っていた高橋礼。

 最初の頃は125キロ前後の速球だったのに、その“125”に、高校時代に甲子園を沸かせた「東都」の強打者たちが軒並みどん詰まりなのだから、面白いヤツが出てきたもんだ……と胸がはずんだ。

「あんなに長身で腕の長いアンダーなんて、初めて見ました。顔の前でボールを放されるみたい。打とうと思うとボール3個分ぐらいホップしてきて、バッテリーの間が半分ぐらいに見えるのに、スコアボード見ると130キロもいってない。もうパニックですよ」

 のちにプロへ進んだあるスラッガーは、アンダーハンド・高橋礼をそんなふうに表現していた。

無理に数字を出そうとして打たれた頃。

「120キロ台の頃は、ほんとにホップしてましたね」

 大学時代の彼をつぶさに見てきた専修大学・長谷高成泰ヘッドコーチのお話も興味深い。

「その頃は、リリースだけパチッといい感じで力が入ってボールが切れていたのが、やっぱりスピードがほしくなるんですねぇ、ピッチャーですから……。130キロ台が投げられるようになったら、リーグ戦でずいぶん打たれましてね。スピード出そうとして、“後ろ”で力が入ってしまって棒球になってるんですよ。ホップしなくなってたんです」

 今の高橋礼投手は、当たり前のように140キロ台のスピードをマークして、しかもホップする軌道をコンスタントに維持しながら、コントロールも乱さない。  調子のよいときは、ほとんどストレート一本で押すような場面もあって、アンダーハンド=軟投派という固定観念をひっくり返してくれそうな勢いだ。

アンダーハンドの伝統は途切れていない。

 そういえば……と、また思い出した話がある。

「アンダーハンドのボールで、いちばん打ちにくいのはまっすぐなんだよ」

 そう言って、高校の時に組んでいた秀才アンダーハンドは、ピンチの時ほどこっちのサインに首を振っては、打者の体の近くにまっすぐを投げ込んできて、どん詰まりの凡打に打ち取っていたものだ。

 アンダーハンドの世界は奥深い。

 畳に座って暮らす日本人にしかできないプレースタイルと言われた時代もあった。生活様式は変わったが、「高橋礼」のようなアンダーハンドが現れたのだからギリギリ間に合うのでは。  

 後を追いかけるようなサブマリンの登場を心待ちにしている。

(「マスクの窓から野球を見れば」安倍昌彦 = 文)