今年3月、一つのママさんバレーボールチームが約50年の活動に終止符を打った。東京都内で活動していた「友の集い」だ。静岡市内で行われた大会が、最後の試合となった。

 「2020年東京五輪まで続けたかった。でも、時代の流れなのかな」。チームのコーチを務めた、1964年東京五輪バレー女子金メダリストの千葉勝美(75)=旧姓松村=はさみしげに話した。

 64年大会の開催は、国民をスポーツに引き込んだ。62年にスポーツ少年団が発足。五輪後は民間のスイミングクラブが全国に広まった。バレーは「東洋の魔女」と呼ばれた全日本女子が金メダルを取ったことで人気となり、ママさんバレーは全国に広がった。千葉は、様々な企業が全国各地で開催したバレー教室に、講師として呼ばれた。「スポーツをしなかった女性らが外で体を動かす流れが起きた」と肌で感じた。

 半世紀がたち、人々の生活様式は変わった。90年代には、専業主婦世帯を共働き世帯が追い越した。全国ママさんバレーボール連盟によると、この30年で競技登録人数は約20万人から約7万人に減少。会長の中西寿子(82)は「練習に来られない人が増えた。チームの多くが午前練習を夜に変えたが、それでもだめだった」と話す。ピーク時には約80人いた「友の集い」も、常時参加できる会員は減少した。

 24時間のスポーツジムにヨガ教室――。1人で運動ができる環境が広がる今、五輪が、「競技スポーツをする」ことを広めるための起爆剤になることは、難しい。一方で高齢化は進み、国民医療費は増え続けている。