東京オリンピックのマラソン男子日本代表選考レース、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)には31名が出場する(MGC出場権利をもつ34名のうち3名はドーハ世界陸上に出場するためにMGCは出走しない)。

 この顔ぶれの中で持ちタイムやこれまでの実績からも、頭ひとつ抜けた存在であるのが、大迫傑(NIKE)、設楽悠太(HONDA)、井上大仁(MHPS)の3人であることは間違いない。

 いち早くMGCの権利を得た3選手は、9月15日のMGCに向けて三者三様の調整をすすめている。

 極寒の東京マラソン2019では途中棄権に終わった大迫傑は、5月2日アメリカ・ペイトンジョーダン招待5000mにてトラックレースでシーズンイン。本調子ではない動きながらも13分40秒48とまずまずのタイムを出した。

 次に日本選手権10000mに推薦枠で出場を狙ったが叶わず。日本陸連の選考基準が話題となったが、同日開催の東海大記録会に突如登場した。3000mを7分59秒87、その30分後には5000mを14分00秒75の2本を立て続けに走り、たまたま東海大に居合わせた陸上ファンを驚かせた。

 大迫はトラックでスピードを磨きながら、徐々に距離を伸ばしていく戦略なのだろう。

設楽悠太は疲労を抜くことに専念。

 東京マラソン2018で日本記録更新を達成後に故障した設楽悠太は、昨シーズンは溜まった疲労をしっかり抜くための「開店休業」のような時間を送った。

 その設楽は今季、4月14日の金栗記念5000mでシーズンイン。「久々のトラックレース走り方がわからなすぎてスパート早すぎた笑」(原文のまま)と、ツイッターに書いたほどの久しぶりの実戦だったが、13分35秒70で5着に入った。

 そのわずか2週間後の4月28日には、ぎふ清流ハーフマラソンを走り、61分36秒で日本人最高の5位。さらにその1週間後にはゴールデンゲームズinのべおか10000mに登場して、27分53秒67で1位となった。

 そして、のべおかの表彰式の場で、MGCの2カ月前となる7月のゴールドコーストマラソンへの出走を発表。東京マラソン2018で日本記録を出した過程と同様に、実戦レースで負荷をかけていきながら調整していくスタイルでMGCを迎えるようだ。

「国内無双」となりつつある井上。

 そんな2人とは違う道を選んだのが井上大仁だ。

 昨年8月のジャカルタ・アジア大会で2時間18分22秒で優勝。タイム以上に暑さの中で接戦を制した勝負強さが高い評価につながった。

 そしてそこからは「国内無双」とも言える走りを見せていく。

 2018年11月の八王子ロングディスタンスでは10000mで27分56秒27の自己ベストを叩き出し、年明けのニューイヤー駅伝ではエース区間4区(22.4km)で、9位から各チームのエースを抜き去って区間賞。勝負強さだけではなく、キレのある走りを見せた井上は、設楽、大迫に続くマラソン日本記録更新を狙えるのでは、という憶測も流れた。

ボストン参戦を選んだ3つの理由。

 だが、井上はMGCのシーズンインにボストン・マラソン出場を選んだ。ボストンは厳しいコース設定で記録を狙うレースではない。井上本人や周囲に聞いた話を総合すると、ボストンを選んだのは以下の理由だったという。

<ペースメーカーがつかない>
 MGCや世界選手権、オリンピック同様、ボストンはペースメーカーがつかない勝負勘の試されるレースだ。2017年世界陸上ロンドンでは後方集団で走った川内優輝、中本健太郎とは違い、スタート直後から先頭集団に果敢に挑んだ井上だが、ついていけたのは15~20kmまで。

 世界トップクラスのランナーが繰り出す小刻みなアップダウンに現在はどこまでついていける力があるのか。その見極めをするため。

<終盤に坂道がある難コース>

 ボストンは前半は下り基調で、終盤は「心臓破りの丘」で有名な強烈な上り坂が続く難コース。MGCも前半5kmは下り、最後の5kmは上りとコースレイアウトも似ている。心臓破りの丘をMGCラスト5kmと見立てることで、課題を見つけておく。

<東京オリンピックマラソン参加標準タイム突破>
 今年3月に発表された東京オリンピック参加標準タイムは、2時間11分30秒。そのタイムを「2019年1月1日から2020年5月31日まで」に出さなければいけないが、暑い時期に行われるMGC本番だと、このタイム設定はなかなか厳しい。

 ただし、ボストンのようなマラソンワールドメジャーズ加盟レースで10位以内で走ると、タイムにかかわらず同等の扱いとなる。つまり2時間11分30秒以内、もしくは10位以内でボストンを走り終えておけば、スローペースが予想されるMGC後に参加標準を切るためだけにマラソンを走る必要がなく、オリンピックへの調整に専念できるからだ。

スタートと同時に飛び出したが。

 レース前日にジョグから帰ってきた井上に話を聞くと、これまでになく穏やかな気持ちで迎えていると話をしていた。

 練習拠点の長崎で強風や坂道への対策をじっくり積めたこと、仕掛けどころは心臓破りの丘であること、そしてレリサ・デシサ(エチオピア)、ゼルセナイ・タデッセ(エリトリア)という、フルマラソン2時間切りを目指した「NIKE BREAKING2」に参加した2人と一緒に走れることを楽しみにしていると語った。

 レース当日の朝、起きると暴風雨が吹き荒れていたが、スタート直前に雨はやんだ。昨年、川内優輝の優勝を呼び込んだような悪天候ではない。スタート前の流しをする井上に声をかけると、笑顔でこちらに手をあげて応えてくれた。

 スタートと同時に先頭に飛び出したのはなんと井上だった。筆者は坂を下っていく選手を見届けたあと、急いでバスに乗り、ゴールへ向かった。序盤は井上と川内の2人が先頭から飛び出し、昨年の再来を一瞬期待させたが、プロへの移行や結婚など走ること以外でも多忙だった川内は、昨年ほどの力を見せることなく後退してしまう。

 一方、井上は30kmまで先頭集団についていたが、そこでレースが動き、徐々に先頭から離され始める。35km通過時は20秒くらいだった差が40kmでは2分にまで広がってしまう。

 レースの行方はフィニッシュライン手前100mからのラストスパートを制したケニアのローレンス・チェロノが2時間7分57秒で優勝(2位のレリサ・デシサとは2秒差)した。

 フィニッシュラインに向かう最後の直線に井上は11位で姿を現すが、後ろから迫ってきたランナーと競り合う余力はなくゴール直前でかわされ2時間11分53秒、12位でゴールした。

「自分はまだまだ」と再認識できた。

 目標タイムも順位もクリアできなかった。だが、井上からは悔しさよりも今後の自分に対する「素直な期待」があふれていた。

「アジア大会で優勝して『いけるんじゃないか?』と周囲には思われていたけど、『自分はまだまだだ』と再認識できたことがボストンの収穫です。

 ロンドン世界陸上のときとは違い、精神的にも余裕がありましたし、周りもしっかり見えたのでペースメーカーがいなくても、レースの流れには乗れるようなった。勝負にはからむことができなかったけど、この2年で着実にステップアップできていることを実感しましたね。

 例えば、世界陸上は15kmでいっぱいいっぱいでしたが、今回は30kmからじわじわときつくなっていった。トップ選手に真正面からぶつかって弾き返されたことで、世界と戦う上で基準となるハードルを強く意識できた。もっと脚を作らないとMGCでも終盤の坂は登れないですね。

 それにレリサ選手たちと走るというのは本当に光栄なことで、これからはああいうトップ選手たちともっともっと走って、強くなりたい。MGCやオリンピックも大事だけれど、ああいう選手とぶつかり合っていきながら、自分の力をもっと高めていきたいですね。もしかしたら、自分のやりたいマラソンはこういう感じなのかな」

川内の代理人が厳しく採点した理由。

 井上のコメントを受けて、坂口泰日本陸連男子マラソン強化コーチは、トップとはいまだ大きな差があることは前提として流れの中で勝負どころまでついていけたこと、MGCやオリンピックといったペースメーカーがつかないスローペースでの戦い方をしっかり経験できたことを評価。「75点」という点数をつけた。

 MGCを前に「調整」ではなく、これ以上ない「実戦」を選んだ井上。その挑戦の意義は9月に明らかになる……。

 と、ここで話は終わらない。

 前年、川内優輝選手をボストン・マラソン優勝へ導いた代理人のブレット・ラーナーさんが、「坂口さんは75点をつけた。君はどう思う?」と聞いてきた。

「30kmまでしっかり走れていた。75点というのは、いい線だと思う」と、答えると、「普通のマラソンなら75点だろう。ただしボストンの走り方としては65点だ」と、厳しいことを言う。

「ニシモト、箱根駅伝とほかの駅伝はどこが違う?」
「それは比べようがない。すべてが違う」
「ボストンも同じ。他のマラソンとすべてが違うんだ」

 事前にボストン入りしたブレットさんによると、井上は車からコースを下見していたが、コースをじっくり走り込むことはなかったと言う。だからこそ「井上が25kmから35kmを試走しておけば、序盤はもっと抑えて走ったはずだ」とも話す。

 実際のレースでは、前述した通りスタートと同時に井上が先頭に飛び出したように見えたが、本人に改めて聞くとこんな答えが返ってきた。

「飛び出したのではなく、押し出されちゃったんです。普通に走り出したら、先頭を走ってて。あれ、誰もいかないの? って」

「川内はボストンを研究していた」

 繰り返しになるが、ボストンはスタートから中間地点過ぎまで一気に下るコースだ。だが、井上が「押し出された」と語った最初の5kmのラップは15分12秒とややスローペース。逆に心臓破りの丘を駆け上がる30~35kmの先頭のラップは15分15秒とほぼ変わっていない。ここで先頭集団がペースを上げていることがわかる。

 ブレットさんは続ける。

「昨年の川内の優勝は100年に一度の悪天候のおかげだと思われている。たしかに悪天候を味方につけたが、川内と私はボストンを徹底的に研究していた」

 2017年12月の末にコースを試走。ボストンの鉄則が序盤は余力を残して25kmから35kmを走り切ることだと確認をしていた。さらにボストンで4回もの優勝経験をもつ“レジェンド”ビル・ロジャースをはじめとした歴代入賞者たちと食事の機会をもうけ、コースの攻略法を徹底的にリサーチした。

 その会食の中でビルは自身が優勝した1979年のレースを振り返りながら、興味深いことを言ったそうだ。その年のボストンで2位に入ったのは圧倒的な強さを誇っていた瀬古利彦だ。

「瀬古は私より明らかに速かった。ただ、彼はボストンのコースを知らなすぎた。それがゆえ、万全の準備ができていた私は勝つことができたんだよ」

 当時、「世界最強」と言われ、モスクワ五輪に出場すれば金メダル確実とまで言われた瀬古に勝てたのは「準備」の差である、というのだ。

2度目のボストンで優勝した瀬古。

 1980年のモスクワオリンピックにボイコットのため出場できなかった瀬古は、1981年のボストンマラソンに再度挑む。

 そして瀬古が仮想ボストンとして「準備」の場に選んだのは、大きなアップダウンのある30kmの「青梅マラソン」だった。そのレースで、瀬古は2019年まで破られることのなかった1時間29分32秒という記録を残した。

 その記録をひっさげて2度目のボストンに臨み、1979年にビル・ロジャースがボストン・マラソンで打ち立てた2時間9分27秒のアメリカ記録を1秒上回る、2時間9分26秒で優勝している。

「徹底的に準備せよ」との教訓。

 ロジャース、瀬古、そして川内。歴史に残るボストンの勝者は、十分な準備をして勝利をつかんでいる。そしてこれはボストンだけにあてはまる教訓ではないはずだ。

 MGCで勝ってオリンピックの出場権を得るには、そして東京オリンピックで世界を驚かせるためにはコースを徹底的に研究し、ホームアドバンテージを活かさない手はない。前評判だけではオリンピックには出られないし、勝てない。「TOKYO仕様」に身体と頭をしあげなければいけないのだ。

「徹底的に準備せよ」

 井上が出場したボストンマラソンから、日本人ランナーが得られる教訓はこれだろう。

 注目される3選手以外にも下馬評を覆すジャイアントキリングを狙う選手もいる。ここから9月までMGCファイナリスト全ての選手の動向が見逃せない。
 

(「オリンピックPRESS」西本武司(EKIDEN News) = 文)