■香取慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。5回目は東京パラリンピックで初めて採用された新種目、パラバドミントンです。女子シングルスの世界ランク3位、山崎悠麻選手(31)と男子の8位、長島理選手(39)にショット技術とチェアワークを学びました。

 《狭いですね。》

 パラバドミントン用の車いす、通称「バド車」に乗った香取さん。コートに入ってまず驚いたのは、競技エリアの小ささだった。

 ネットの高さは、通常のバドミントンと変わりない。コートも同じだが、車いすや下肢の障害が重い人のクラスは競技エリアが半分になる。

 山崎選手が笑顔で答えた。

 《一見、そうですよね。でも、前後の角を狙われると意外に広く感じます。》

 香取さんはルール説明を受けた後、山崎選手と対戦。競技エリアを身をもって体験した。

 《前にも全然動けない。どう動かせばいいのか。》

 車いすをこぐ手には、ラケットも持たなければならない。

 山崎選手と長島選手からは、ラケットのグリップを使って左右均等の力でこぐこと、シャトルの落下地点を予想して車いすを動かした後に打ち返すよう教わった。でも、どうしても先に手や上半身を伸ばそうとしてしまう。車いす操作との一連の動作の難しさを口にする香取さんに、山崎さんがさらに助言した。

 《まずコートの中心から一こぎで前へ。打ってからすぐに戻って。次の動作もまた一こぎが基本です。》

■どちらが有利?

 競技はいかにスピーディーに車いすで動けるかが勝負を左右する。山崎、長島両選手は車いす操作を高める練習も日々こなす。

 長島選手が言った。

 《まずは落下地点に入らないとシャトルは打てません。「打ちたい」とはやる気持ちは我慢です。》

 香取さんが体験したもどかしさを、両選手もかつて経験した。2人はそれぞれ事故で下半身の機能を失う前はバドミントンの選手だった。

 山崎さんが言った。

 《障害を負ってバドに戻ってきたとき、応援してくれる人がいた。帰ってこられてうれしかった。》

 長島さんもうなずいた。リハビリを終えて自然と足が向いたのは、元のバドミントン仲間の場所だった。

 2人の話を聞いて、香取さんはふと疑問がわいた。

 《もともと車いす生活を送っていた人がバドを始めるのと、バド経験者が車いす生活になるのと、競技をするうえではどちらが有利なのか。》

 山崎選手の答えは後者だった。

 《今はバドの技術が伴っていないと世界の上位では戦っていけないんです。》

■輝いてほしい

 パラバドミントンは2014年に20年東京パラリンピックの正式種目になり、レベルが一気に上がった。事故前に得た勝負勘や相手との駆け引きの力を強みに、2人は今や世界ランカーとして各国の選手と戦う。

 《事故は不幸なことだったけど、競技を続けてきたことで今は世界が見られている。不思議な縁だなと。》

 長島さんの思いに山崎さんも共感する。

 徐々にパラバドミントンの動きになれてきた香取さんは山崎選手と対戦した。背もたれがないバド車の上で背中を思い切り反らせてスマッシュを放つ。ラケットの芯を外れたシャトルが山崎選手の前にポトリと落ちた。

 《あれは取れない。》

 悔しそうにつぶやく山崎選手に香取さんは言った。

 《コートはやっぱり広いね。競技はハードだけれど、お二人ともキラキラしている。輝きを持って生きられることは素晴らしい。20年大会は最高の盛り上がりの中でさらに輝いてほしい。》

     ◇

 〈山崎悠麻(やまざき・ゆま)〉 1988年生まれ、東京都出身。小学2年でバドミントンを始める。高校1年の時に事故で車いす生活になり、パラバドミントンと出合う。一時、競技を離れたが、結婚、出産を経て13年に復帰した。昨年のアジアパラ大会でシングルス、ダブルス3位。NTT都市開発所属。

 〈長島理(ながしま・おさむ)〉1979年生まれ、埼玉県出身。中学でバドミントンを始める。大学2年の事故で脊髄(せきずい)を損傷。リハビリを経て競技を始めた。05年に住宅設備機器メーカーに入社し、便器などの表面に水あかがつきにくくする研究に従事する。リクシル所属。