「ヘーイ・アキコ!」と懐かしい声が、電話から響いてきた。

 懐かしいと言っても、つい3カ月前の2018年12月、バンクーバーのGPファイナルの会場で会ったので、話をするのはそこまで久しぶりでもない。

 プレスルームで「リズのこと、知ってたっけ?」と一緒にいた恋人を紹介してくれた。

 カナダ出身の元ペア選手、エリザベス・プットナムである。ショーン・ワーツと組んで2006年四大陸選手権で3位に入ったこともあった、手足の長いきれいなスケーターだった。その彼女は、現在公私ともに彼のパートナーであるという。

「リズと共同のセミナーを終えたところなんだよ。もうすぐスターズオンアイスのリハーサルも始まるんだ」と、嬉しそうに言うパトリックの声からは、バンクーバーで恋人と一緒に幸せな日々を満喫している様子が伺えた。

「大丈夫だよ、冷静に思い返せるようになったから」

 だがこの日の電話取材は、少々気が重かった。課されたテーマが、羽生結弦に敗れたソチオリンピックの思い出についてだったからである。世界タイトルを3年連続して手にした彼が、肝心のオリンピックで銀メダルに終わったのは大きな失望だったに違いない。でも時には聞きにくいことも聞かなくてはならないのは、記者の宿命である。

「大丈夫だよ。もう時間がたって自分でも冷静に思い返せるようになったから」

 今号にも書いたが、最初に断って謝罪した私にチャンは明るい声でそう答えた。

 パトリック・チャンと初めて会ったのは、彼がまだ12、3歳の頃だった。取材で訪れたトロントのグラニットクラブで、目をキラキラ輝かせて嬉しそうに滑っているアジア系の男の子に目がいった。

 その少年は氷から上がると、人懐っこい笑顔であちらから挨拶をしてくれた。それがまだジュニアに参戦する前のパトリックだった。そのときは将来3度も世界タイトルを取る選手に成長するとは思っていなかったけれど、なんと楽しそうに滑る少年だろうと強い印象を受けた。

羽生に敗れたGPファイナルが転機。

 その後メキメキと成績を伸ばしてあっと言う間に世界のトップクラスに到達したパトリックだが、個別取材を申請すると、大勢のカナダの記者たちに囲まれてもみくしゃになっているような時でも、必ず筆者のために時間を取ってくれた。若い頃からの知り合いだったこと、同じアジア系同士という親近感もあったのだろう。

 唯一の例外が、2013年12月に福岡で開催されたGPファイナルである。

 羽生結弦に敗れて2位に終わった後、カナダ連盟の広報担当者を通して「疲労」を理由に筆者も含めて全ての取材依頼を断ってきたのだった。

「(あの試合で負けたとき)確実に、潮の流れが変わったのだということを実感しました」と電話で答えた彼だが、精神的な打撃は計り知れなかったに違いない。

 実際、あの福岡GPファイナルでパトリックはフリーで2度の4回転トウループを降りて、当時の彼にできたことはほぼ全てやった。

 一方羽生は、冒頭の4回転サルコウで転倒。その後4回転トウループなど残りをノーミスで決めて193.41対192.61と僅差ではあったが、パトリックはフリーでも2位に終わった。

 以前の取材で、パトリックは筆者にこうも語ったことがある。

「それまではベストな演技をすれば絶対に勝てるという自信があった。でもあのファイナルで2位に終わったとき、良い演技をしてもジャッジは評価してくれないかもしれないという恐怖心がわいたんです」

恐怖が「キラキラ」したオーラを失わせた。

 フィギュアスケートにおいて、精神的な要素の大きさは計り知れない。福岡GPファイナルの後、ジャッジはもう自分の味方ではないのかもという恐怖心が、パトリックを苛んだのである。

 心の中に恐怖を抱えてからのパトリックは、あの天然の「キラキラ」というオーラを失った。ソチで2位に終わり、1年の休暇を経て戻ってきてもかつて楽しそうに目を輝かせて滑っていたパトリックは、そこにはいなかった。

「ダイスケはどうしてる?」

「実はモチベーションが上がらなくて、平昌オリンピックも最後まで出ようか出まいか、迷ったんだ」と、告白したパトリック。

 実際、2017年GPシリーズのスケートカナダで4位に終わった後、パトリックが練習に来ていないという情報が駆け巡ったことがあった。このままやめるのではないかという憶測も流れた中、彼はバンクーバーにトレーニングの拠点を移し、心機一転して10度目のカナダ選手権タイトルを手にしたのだ。

 このとき、バンクーバーにいたエリザベス・プットナムがおそらく彼の心のサポートをしたのに違いない。

「1つ、ぼくから聞きたいことがあるのだけれど、いい?」

 電話インタビューの最後に、パトリックがそう切り出した。

「ダイスケはどうしてる? 元気で活動しているのかな?」

 取材の最中も、パトリックの口から幾度も高橋大輔の名前が出ていた。自分が当時ライバルとして意識をしていたのはユヅルではなくてダイスケだった、と何度も繰り返した。羽生と言葉を交わした機会はほとんどなかったけれど、高橋大輔とは試合終了後に楽屋でふざけあった思い出がたくさんあったという。

 パトリック自身がもっとも競技者として輝いていた時代に、いつも表彰台の横にいたのが高橋大輔だった。彼にとって戦友といえる存在なのだろう。

「ぼくからよろしくと伝えてね」

 2018年全日本選手権で素晴らしいSPを滑り、フリーでは失敗も出たけれど総合2位だったこと。でも自ら世界と戦う準備ができていない、と言って2019年埼玉世界選手権出場は辞退したことなどを伝えた。

「でも次のシーズンも続ける、と発表しました。来季はぜひ国際大会にも出て欲しいのだけれど」と私が言うと、パトリックはこう応えた。

「彼はいつでも素晴らしい表現力があったから、ノーミスで滑ったらまだ高い評価を受けられると思う。だってジェイソン(ブラウン)だってあそこまで点が出ているし。話す機会があったら、ぼくからよろしくと伝えてね」

 パトリックはそう言葉を結び、再会を約束しあって電話取材を終えた。

(「Number Ex」田村明子 = 文)