南米大陸最高峰のアコンカグア(標高6961メートル)をめざして、86歳のプロスキーヤー三浦雄一郎さんのもとに遠征隊のメンバーが集結した。三浦さん、スキー・モーグルの元五輪代表の次男豪太さん(49)を含め、計7人はいずれもエベレスト登頂者だ。雄一郎さん、豪太さんはこれまでに紹介してきた。挑戦を支える「ドリームチーム」の面々5人の素顔は?

■アコンカグア登頂12回 倉岡裕之さん(57)

 昨年12月、アコンカグアにガイドの仕事で登頂したばかりだ。今回の遠征に合わせ、帰国から数日後には出発し、再び南米の地にやってきた。登頂は世界最高峰エベレスト9回、アコンカグア12回を数え、「標高7千メートルぐらいが最も体がよく動く」と語る。高所登山の経験で有数の実績を誇る山岳ガイドだ。

 中学生のときに独学で山を始めた。大学生の頃は社会人の山岳会で経験を積み、ガイドの活動を始めた。以来、8千メートル級の高所やジャングルなどの案内を得意として活動。昨年は計10カ月を海外で過ごした。

 三浦さんの遠征には2013年のエベレストに参加した。今回と同様に登山の中心となる登攀(とうはん)リーダーとして、80歳の登頂を成功に導いた。

 三浦さんについて、高齢で体力が落ちていることを自覚し、隠さない姿勢に強さを感じるという。今回の挑戦が成功するかは、高度にいかに対応するかが鍵とみる。「三浦さんの体調が良ければ、登頂できる」と自信を見せる。

 近年達成した夢の一つがある。アコンカグアの「日帰り」だ。今回とは異なり、一般的なルートを使って、ガイドとして日本人を連れてベースキャンプから約20時間で往復した。

 千葉県内の自宅には登山道具専用の小屋があり、クライミングウォールも備えてある。エベレストの登頂回数は15回まで伸ばすことを狙う。「あと10年はエベレストのガイドを続けたい」と意気込む。

■「山で生きるすべ、吸収したい」 平出和也さん(39)

 エベレストの最終キャンプへ向かう途中だった。「平出君、この嵐も撮っておいてね」。13年5月。当時80歳の三浦さんに声をかけられた。標高8千メートルを超えた中でも見せた視野の広さに、冒険家としての生き様を見た。「同じ冒険を志す者としてぜいたくな時間を過ごしている。山で生きるすべを吸収したい」と感じた。

 長野で生まれ、大学2年の夏までは陸上選手。競歩は全国レベルだった。でも、決められた枠の中で競うことに疑問を感じ、自分の限界に挑戦したいと山岳部の門をたたいた。人数は少なく、教わる機会も多くなかったが、関係なかった。

 ヒマラヤの未踏峰を登り、さらにチョー・オユー(標高8201メートル)に大学生ながら登頂してスキーで滑ったことで、三浦さんの事務所に呼ばれ、激励を受けた。以来、自分が歩いた後に道をつくりたい、と未踏峰や未踏ルートにこだわってきた。

 08年にインド・カメット南東壁を初登攀すると、国際的な登山家に贈られるフランスのピオレドールを受賞。さらに17年には、パキスタン・シスパーレ北東壁を初登攀し、2度目のピオレドールの偉業を達成した。今回の遠征隊員でもある中島健郎さんとの受賞だった。

 三浦さんのエベレスト遠征に13年にカメラマンとして呼ばれ、うれしかった。知り合って十年あまり。「ようやく認められた」と感じたからだ。

 今回の遠征でもカメラを手に山頂をめざす。「三浦さんの登山は記録だけでなく、記憶にも残る。多くの人からも応援されるような冒険を自分もしていきたい」と考えている。

■父が見た景色を求めて 中島健郎さん(34)

 山とバイクが好きだった父が36歳で病死したとき、幼稚園児だった。だから、父の記憶は写真ぐらいしかない。でも「父が見ていた景色を見てみたい」と思って始めた登山で昨年、遠征隊員の平出和也さんとともに、ピオレドールに輝いた。

 関西で生まれ育ち、登山を本格的に始めたのは大学の山岳部に入ってからだった。部員は少なかったが、貪欲(どんよく)に技術を吸収した。ヒマラヤの6千メートル級の未踏峰にも立ち、山の世界に深く入っていった。

 「山の世界を知らない人に伝えたい」。その後、テレビ局の登山番組の撮影などでたびたび高峰を訪れ、カメラマンとして経歴を積んだ。そうした経験から、平出さんともザイルを結ぶようになった。

 登山界では若手に位置づけられるが「自分たちでやりがいのある山を探して、見つけて、登る期間は限られている」と感じる。今年も平出さんと新たな「壁」に挑む。

 ただ、実は高所には強くない。順応するまでに時間がかかり、吐き気に苦しむ。絶壁をよじ登る危険もある。それでも、困難を乗り越えたときに「生きている感覚」があるから、山を続けてきた。危険を回避するたびに、父が守ってくれている気がするという。

 三浦さんの遠征に参加するのは初めてで、最年少となる。「正直86歳で登るとは信じられないが、成功してもらいたい。最大限のサポートをしたい」

■山から生きて帰るために 大城和恵さん(51)

 「だんだん早くなりますね」。昨年12月、札幌市の病院。体中に計測機器をつけた三浦さんに語りかけた。不整脈を抱えて南米最高峰に挑む三浦さん。次第に動きが早まるベルトの上で歩き、どこまで耐えられるのか、テストした。診察室に戻ると、「死の回避が私たちの最大の目的。血圧を下げて、水分を取ってゆっくり登りましょう」と助言した。

 長野市で生まれ、山は身近な存在だった。医師になった後に世界の山々をめぐった。その経験から山での医療に興味を持ち、10年、英国に渡って国際山岳医の資格を日本人として初めて取得。勤務先の札幌市内の病院には「登山外来」を設けている。

 大城さんの調査では、山岳遭難の死因で心臓死が3番目に多い。山で発作が起こると、搬送に時間がかかり、命を落とす危険性が高くなる。このため、治療をして病気を予防してから山に入ってもらうことに力を入れる。

 三浦さんの遠征では、13年のエベレスト遠征に隊のドクターとして初めて参加。登頂後、三浦さんが途中からヘリコプターで下山する判断をした。そのまま歩いて降りる選択もあったが、命を守ることを最優先したという。

 自らも昨年5月にエベレストに登頂した。夏には富士山の診療所にも入る。高所を知るからこそ、三浦さんの86歳での7千メートル級への挑戦は「生物学的に限界。気力や精神力がカバーできない面もある」と冷静に分析する。何より大事なことは「生きて還る」だ。

■裏方に魅力 貫田宗男さん(67)

 昨年12月、東京の事務所で、アルゼンチンとの通信に追われていた。三浦さんの登山予定ルートに変更点が出たことなどで、現地のエージェントと急きょ交渉し、ガイドや装備の調整を進めた。時差12時間。出発が迫るなかでの作業。そんな裏方の仕事を意気に感じている。「ハードルが高い方がおもしろく、作戦を立てて解決したときの喜びは大きい」と語る。

 高校で山を始めた。次第に岩登りに熱を入れ、谷川岳や穂高岳の岩壁に通った。さらに20代からヨーロッパアルプスやヒマラヤに足を延ばし、各地の高峰を歩いた。一方で海外登山は組織力や資金のある集団が中心という空気が登山界にあり、疑問を感じていた。

 多くの人に楽しみを提供したいと考え、そうしたサポートを仕事にするようになった。1995年には、海外の登山を支える山岳コンサルタント会社「ウェック・トレック」(東京)を立ち上げた。山に限らず、災害支援や映像の撮影などでのサポートも続けてきた。

 海外の登山は涙を流して喜ぶ客もいて、普通の旅行の企画では得られないやりがいを感じている。今も現役で、昨春もエベレストをめざした。「山の魅力は挑戦。今は誰かを登らせることが自分のチャレンジです」

 三浦さんとの関係は長く、エベレスト遠征は準備を含めて70歳の時から携わり、80歳のときはベースキャンプに滞在して支えた。三浦さんについて「スタッフをすごく大事にしてくれる」と信頼を寄せ続ける。(金子元希)

■遠征隊のメンバー

《三浦豪太(みうら・ごうた)》 副隊長 プロスキーヤー。2大会連続でモーグル五輪代表。雄一郎さんの3度のエベレスト遠征に同行し、2度登頂。冬季スポーツでの独特の解説も。

《倉岡裕之(くらおか・ひろゆき)》 登攀(とうはん)リーダー 山岳ガイド。エベレスト登頂9回。アコンカグアの登頂は12回を数え、海外の山でのガイド経験が多数ある。

《平出和也(ひらいで・かずや)》 カメラマン アルパインクライマー、山岳カメラマン。優れた登攀実績から、登山界のアカデミー賞と言われるフランスのピオレドールを2度受賞。

《中島健郎(なかじま・けんろう)》 登攀サポート 山岳カメラマン。テレビ番組の登山企画でカメラマンなどを経験。2018年に平出さんとともにピオレドールに輝く。

《大城和恵(おおしろ・かずえ)》 チームドクター 医師。登山経験を生かし、国際山岳医の資格を持つ。18年、日本人女性医師として初めてエベレスト登頂を成功させる。

《貫田宗男(ぬきた・むねお)》 遠征ロジスティックス ウェック・トレック顧問。1995年に日本初の山岳コンサルタント会社として同社を立ち上げた。海外登山のサポートの経験が豊富。