「時は来た!ドラフト指名を待つ男たち」

山本 隆広 やまもと・たかひろ
桜宮高→関西大
投手・右投左打・172センチ77キロ
1997年1月27日(21歳)

 

 身長172センチと小柄ながら最速150キロの力強いストレートを投げ込む本格派右腕。プロ8球団から調査書が届いているという。

 2年秋から先発投手の一角に食い込むと、リーグ最多の5勝を挙げて最優秀選手賞を獲得した。3年秋には近大戦で2004年春の同志社大・染田賢作(元・横浜投手/現・乙訓高部長)以来となる関西学生野球連盟史上2人目の完全試合を達成。その功績から特別賞を受賞し、2季ぶりのリーグ優勝と神宮大会出場に大きく貢献した。

 3年生までは順調にキャリアを積み重ねてきたが、最終学年は試練の1年となった。春季リーグ戦を前に右ヒジを剥離骨折して戦線離脱を余儀なくされる。それでもベンチに入り、経験値の少ない投手陣を精神的に支え、時には高い打力を活かして代打としても活躍。しかし、エースの抜けた穴は大きく、早々に優勝争いから脱落してしまった。

 投げられない悔しさを噛みしめつつも「春に投げられないのは分かっていたので、秋に照準を合わせてきました」と気持ちを切り替え、秋の復帰に向けて準備を進めた。7月から少しずつ投げ始め、8月から本格的に投球練習を再開。8月中には実戦にも復帰し、秋季リーグに間に合わせることができた。

「自分が離脱したことがチームにとって影響があったので、自分がやらないといけないと思いました」という決意を持ってラストシーズンに挑んだ。故障明けの影響もあり、絶好調時に比べて7~8割という状態。それでも力のあるストレートは健在で5勝を挙げ、防御率1.40という好成績を収めた。

 大学最後の試合を終えた後のミーティングでは仲間の前で「メディアに取り上げられるような選手になる」と宣言した。その言葉の真意は「野球を続けたくても続けられない人がほとんどなので、野球ができることを幸せに感じてやっていかないと示しがつかない」という想いからだった。

 伝統ある野球部でも卒業後に選手として野球を続けられる者は一握り。大事なマウンドを任されたことで「責任感がついた」という右腕は4年間の苦楽を共にした仲間の想いを背負ってプロの世界へと挑む。

文・写真=馬場遼

TBSテレビ「プロ野球ドラフト会議」番組公式サイト
http://www.tbs.co.jp/baseball-draft/