元サンフランシスコ49ナーズWRドワイト・クラークが現地6月4日、筋萎縮性側索硬化症により61歳で亡くなった。筋萎縮性側索硬化症(ALS)は脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロンが侵され、体を動かすのに必要な筋肉が徐々にやせて力がなくなっていく難病。未だ有効な治療法が確立されていない。1981年ダラス・カウボーイズとのNFCチャンピオンシップの決勝点、QBジョーモンタナからの6ヤードTDパス「ザ・キャッチ」は、NFL史上最高のプレーの一つとして37年たった今でも語り継がれている。2017年3月に筋萎縮性側索硬化症を患っていると発表。闘病生活を続けていた。

クラークのNFL入りは1979年。クレムソン大学でのルームメイト、元カンザスシティー・チーフスQBスティーブ・フラーに、49ナーズからかかってきた電話を偶然クラークが受け取ったのをきっかけにワークアウトに参加。ビル・ウォルシュHCの目に止まり、大学4年時には11捕球しかしていなかったものの、当時は12巡まであったドラフトで10巡249位で49ナーズに指名された。1981年シーズンの第16回スーパーボウルと、1984年シーズンの第19回スーパーボウルの制覇に貢献。1981年と82年にはオールプロに選出され、キャリア通算506捕球6750ヤード48TDを記録。捕球回数は当時のチーム記録だった。1987年に引退した後は1998年から2002年にかけてクリーブランド・ブラウンズのGMを務めた。

49ナーズはクラークの訃報に「本日、ドワイト・クラークが亡くなり、チームは悲しみに包まれています。ドワイトの妻ケリー、家族、友人、そしてファンに哀悼の意と祈りを捧げます。40年近くにわたって、西海岸の代表でした。ドワイトの性格、ユーモアは関わった人間を惹きつけてやみませんでした。筋萎縮性側索硬化症との闘病は、長い間多くの人を勇気づけることでしょう。ドワイトの存在が忘れられることはありません」と声明文を発表。

モンタナはツイッター上で「ドワイトは活発で人を惹きつける男でした。妻のジェニファーとともに悲しみに暮れています。こんなに早く亡くなるとは思っていませんでした。何十年にもわたる友情に感謝しています。ドワイトと彼の家族に哀悼の意を表します」とコメント。そのほかにもニューイングランド・ペイトリオッツQBトムブレイディらNFL関係者が多数別れを惜しむコメントをSNS上に残した。

1981年NFCチャンピオンシップでの「ザ・キャッチ」