今でこそ、日本はアジアのサッカーをリードする存在だ。だが、かつては香港がアジアの強豪の地位を占めていた。蹴球放浪家・後…

 今でこそ、日本はアジアのサッカーをリードする存在だ。だが、かつては香港がアジアの強豪の地位を占めていた。蹴球放浪家・後藤健生は、サッカー界の少林寺の異名を取る強豪チームの本拠地にも足を運んだ。

■サッカーの修行は「入山」

 前々回の「蹴球放浪記」で「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と記された戒壇石という石が寺の山門に立てられているという話をしました。「山門」というのは「寺の門」という意味になります。

 仏教寺院の名前は、正式にはたいてい「〇〇山××寺」という形式になっています。

 たとえば、浅草の観音様は「金龍山浅草寺(きんりゅうさんせんそうじ)」、成田のお不動様は「成田山新勝寺」というのが正式な名前です。たいていの寺の名前はこういう形式になっているのです。

 つまり、たとえ、そのお寺が平地にあっても、やはりお寺は「山」なのです。そこで、お坊さんになるためにお寺に入ることを「入門」とか「入山」というのです。

 有名な少林寺拳法の発祥となった中国河南省にある曹洞宗のお寺も、崇山少林寺というのが正式な名前です。西暦495年に創建され、インドの僧侶、達磨大師が禅を伝えた地とされていますが、同時に少林寺武術の中心地です(日本の少林寺拳法とは別物だそうですが……)。

 で、武術を習得するために少林寺に入ることも、やはり「入門」であり、「入山」というのです。そして、少林寺以外でも武術の修業を始めるときに「入門」、「入山」という言葉を使います。

 それと同じ感覚で、サッカーの修行に行くことを「入山」と称した例もありました(別に映画の「少林サッカー」の話ではありませんよ)。

 中国の香港でのお話です。

■西洋人に侵略された中国

 香港は、現在は自治や自由を奪われてまるで中華人民共和国の一部とされてしまいましたが、正式には中国の「特別行政区」となっています。しかし、今回のお話は1997年の中国返還より前の、香港が英国植民地だった時代のお話です。

 19世紀に入ると、弱体化した清国に対して列強が進出を始めます。現代風に言うと、西欧諸国が中国やその周辺地域に対して「武力を背景とした一方的な現状変更」を行ったわけです。

 英国は中国からさまざまなものを輸入。それに対して、輸出品がなかったため、インドなどでこしらえた麻薬の一種であるアヘンを中国に輸出。中国では麻薬中毒患者が急増しました。

 今では、アメリカのトランプ政権は「中国が合成麻薬のフェンタニルを輸出している」とイチャモンをつけていますが、「一方的な現状変更」も「麻薬の輸出」も、もともとは西洋人が中国に対して仕掛けたことだったわけです。

 で、清国政府が麻薬の流入を阻止しようとしたので、勃発したのが1839年のいわゆる「アヘン戦争」でした。戦争は、軍事力で上回った英国の圧勝に終わり、1842年に結ばれた南京条約で香港島が英国に割譲されることになりました。

■スポーツの流入

 さらに、その後、1898年までに香港島対岸の九龍半島、さらにその後背地である「新界」も99年間の英国租借地となりました。「9(九)」の発音は「久」と同じなので「永久」と言う意味だったのですが、99年後の20世紀末になると英国は弱体化し、逆に中国の国力が強大化していたので、1997年に英国は香港島を含めてすべてを中国に返還したというわけです。

 香港が植民地になると、商人や植民地行政官、軍人など大量の英国人が住みつきました。19世紀の英国人は世界中どこに行っても、すぐに教会や広場と同時にグラウンドを作ってクリケットやフットボールを始めます。もちろん、香港も例外ではなく、周囲の中国人もそれをまねてスポーツを行いました。

 その結果、近代スポーツの本場である英国人から学び、一緒にプレーすることができたため香港のスポーツはアジア大陸最強となっていきました。

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