レッドソックスは9日(日本時間10日)、外野手として活躍し、阪神でもプレーしたマイク・グリーンウェル氏が62歳で死去した…

レッドソックスは9日(日本時間10日)、外野手として活躍し、阪神でもプレーしたマイク・グリーンウェル氏が62歳で死去したと発表した。8月に甲状腺がんを公表し闘病していた。

同氏は82年ドラフトでレッドソックスから3巡目(全体72位)で指名され、85年にメジャーデビュー。88年にはシルバースラッガー賞に選ばれ、89年まで2年連続球宴に出場した。96年までレ軍一筋12年間で通算1400安打、打率3割3厘、130本塁打、726打点をマーク。「ミスターレッドソックス」の看板を引っさげて97年、当時の球団史上最高額の約3億6000万円で、吉田義男監督が率いる阪神に加入した。

ニックネームはワニを意味する「ゲーター」。1月末にテンガロンハットにウエスタンブーツというカウボーイ風の出で立ちで来日し、話題を集めた。だが2月の高知・安芸キャンプ中に一時帰国。理由は米国で経営する農場と遊園地、レーシングチームの事務処理のためだった。4番を期待されての入団だったが、背中の痛みを発症し、再来日は4月末。そして5月10日の巨人戦(東京ドーム)で、自打球を当てた右足甲を骨折してしまった。「足のケガは野球を終われという神のお告げ」と突然、現役引退を宣言して退団した。

阪神での成績は出場7試合で26打数6安打の打率2割3分1厘、0本塁打、5打点。同氏は「お金のために野球をしているのではない」と年俸の約4割にあたる1億4400万円の返金を申し出た。吉田監督は「まるで竜巻のように去っていきましたな」と残念がった。もう1人の助っ人ハイアットも力を発揮できず、前中日のコールズらを補強したが、主砲を欠いたチームは5位に沈んだ。

同氏は引退後、遊園地や農場を経営しながら、自動車レースのNASCARにも出場。08年にはレッドソックスで球団殿堂入りを果たした。居住していたフロリダ州では22年にリー郡委員会に任命され、政治家としても活躍していた。

レッドソックス球団はXで「レッドソックスの殿堂入り選手、マイク・グリーンウェル氏の逝去に深く悲しんでいます。『ザ・ゲイター』(愛称)はキャリアの全てをレッドソックスのユニホームで過ごし、フェンウェイパークとフォートマイヤーズで愛される存在でした」と惜しんだ。

▽元阪神桧山進次郎氏(97年グリーンウェル氏と同じ外野でプレー)「意外に思われるかも知れませんが、大物メジャーリーガーだというおごりやプライドは一切見せず、ものすごく一生懸命練習する選手でした。阪神に来ても常にチームのことを最優先していたのでさすが『ミスターレッドソックス』と呼ばれる選手だなと感じていました。背中の痛みを治して、さあこれからという時に今度は自打球で骨折。これだけ一生懸命やったという納得感が『神のお告げ』という言葉になったのだとと思います。亡くなったと聞いてびっくりしましたし、残念です」

◆マイク・グリーンウェル 1963年7月18日生まれ、米ケンタッキー州出身。北フォートマイヤース高から、82年ドラフト3巡目でレッドソックス入り。メジャーに初昇格した85年からレ軍一筋12シーズンで通算1400安打を放ち、打率3割3厘、130本塁打、726打点。88年にはシルバースラッガー賞を受賞した。97年に阪神に入団も出場7試合で退団。そのまま現役を引退した。08年にレ軍の球団殿堂入り。現役時代は183センチ、93キロ。右投げ左打ち。