静岡県出身として3人目の中学校横綱が、もがき、苦しみながら、いよいよ悲願の関取昇進が目前に迫ってきた。大相撲の西幕下8枚…

静岡県出身として3人目の中学校横綱が、もがき、苦しみながら、いよいよ悲願の関取昇進が目前に迫ってきた。大相撲の西幕下8枚目で、焼津市出身の吉井(22=時津風)が、9月の秋場所で4勝3敗と勝ち越し。九州場所(11月9日初日、福岡国際センター)で5勝以上すれば、場所後の新十両昇進の可能性も十分あり得る番付まで上昇しそうだ。原因不明のスランプも味わったが、病気と闘う母を元気づけたい思いを胸に、夢を勝ち取りに行く。

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大一番は14日目に待っていた。中2日、3勝3敗で臨んだ七番相撲。吉井は立ち合いから無我夢中で攻めた。相手は強豪鳥取城北高を卒業後、社会人1年目で幕下最下位格付け出し資格を得た、入門1年半の20歳松井(伊勢ケ浜)。対する吉井は焼津港中3年時に、静岡県出身では初めて、個人と団体の2冠に輝いたとはいえ、中卒たたき上げで入門6年半を迎えた。「負けたくない相手だった」。その思いだけで最後まで前に出て寄り切り。4場所連続の勝ち越しを決めた。

「せっかく幕下1桁まで番付を戻したので、絶対に負け越したくなかった。うれしいというよりも、ホッとした」。取組直後、吉井は息をつき、ほほ笑みながら話した。平成最後の本場所、19年春場所の前相撲で初土俵を踏み、令和最初の本場所、同夏場所で序ノ口として初めて番付にしこ名が載った。そこから10場所連続で勝ち越し。新十両昇進は時間の問題と思われていた。だが最高位は22年秋場所の東幕下3枚目。全休後に1場所三段目に転落した以外、幕下内で番付を上下する日々が続いている。

中でも苦しかったのは、1勝6敗に終わった今年1月の初場所だった。3勝4敗だった昨年九州場所に続き、2場所連続負け越し。「稽古はしていたし、体も悪いところはなかった。何の理由もなく勝てずに、体が衰えたのかもしれないと疑心暗鬼になった」。初めて味わう不安にのみ込まれそうになったが、ライバルと母の存在が、沈みかけた吉井の心を奮い立たせた。

ライバルは同い年で、同じく中卒たたき上げの大辻(高田川)だ。吉井が自分の体、成長を信用できなくなるほど、疑心暗鬼になった初場所後、大辻が新十両に昇進した。「これが吉井の刺激になってくれたら。ライバルですから」と、当時の大辻は言っていた。吉井は「やっぱり刺激になった。大辻には負けたくないので『早く追いつきたい』という気持ちが強かった」と、その後の4場所で18勝した。来場所は幕下5枚目前後に番付を戻しそうだ。

十両から幕下に転落する人数にもよるが、慣例に従えば、幕下5枚目以内で勝ち越せば、十両昇進の可能性が出てくる。ただし幕下4、5枚目は5勝以上は必要となるケースが多い。もちろん15枚目以内の7戦全勝は、文句なしで昇進するだけに、目指すは全勝だ。

誰よりも関取となり、大銀杏(おおいちょう)姿を見せたいのが、母まゆみさんだ。中学横綱になる直前に、母の腎不全が判明。現在も週1回、焼津市から都内の病院に通院している。下の名前の「虹(こう)」は、歌手福山雅治の大ファンという、まゆみさんがヒット曲「虹」にちなみ名付けられたもの。吉井は「早く関取に上がって…。母にかっこいいところを見せたい」と、かみしめるようにして話した。いつも応援してくれ、背中を押してくれた母に、少しでも恩返ししたい思いが、吉井の最大のモチベーションだった。

8月末に1日だけ特別参加した、静岡市巡業でも力をもらった。関取衆のように土俵入りや、鮮やかな締め込み姿を披露するわけでもない。それでも「本当に多くの人に『頑張って』と言ってもらえた。こんなに自分を応援してくれている人がいるんだと知って、本当にうれしかった」と、地元の声援が染みた。今はまだ、黒まわしの若い衆の1人。だがいずれは地元静岡に、そして母に、元気を届ける「虹」のような存在へ-。その第1歩を、来場所後に踏み出す決意を新たにしていた。【高田文太】

◆吉井虹(よしい・こう)2003年(平15)8月1日、静岡市清水区生まれ。5歳から柔道、焼津港小4年から相撲を始める。同5年からは相撲一筋。わんぱく相撲静岡県大会を4、5年時に優勝。焼津港中3年時の18年に全中で個人、団体の2冠。卒業後の19年に中川部屋に入門も、20年に部屋が閉鎖し、時津風部屋に移籍。19年春場所初土俵。22年名古屋場所で幕下優勝。最高位は東幕下3枚目。得意は押し、左四つ、寄り。家族は両親と兄。179センチ、176キロ。