<日本代表の舞台裏:連載1>高校日本代表は9月に沖縄で行われたU18W杯で大会2連覇に挑むも、決勝で米国に敗れ準優勝に終…
<日本代表の舞台裏:連載1>
高校日本代表は9月に沖縄で行われたU18W杯で大会2連覇に挑むも、決勝で米国に敗れ準優勝に終わった。8月28日の合宿初日から9月14日の決勝まで18日間、日本代表の舞台裏を全3回で振り返る。第1回は、大会運営を支えた人たち。
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「沖縄で開催できてよかったですよ。意味のある大会になりました」。決勝戦後、沖縄県高野連の前川等理事長は満員の観客席を見渡し、つぶやいた。日本は準優勝に終わったが、連日たくさんの人が詰めかけ、勝っても負けても、笑顔で大きな声援を送った。「野球の楽しさを少しでも感じてもらえたら」。
当初、日本と中国が開催候補地に挙がり、中でも沖縄県が熱心に名乗りを上げたという。「23年、バスケットのワールドカップを開催し県の事業として大成功した。戦後80年もあり、高校野球でも、と手を上げたと聞いています」と同理事長。一番の問題は運営の人員確保。県から県内の高校、大学に要請してもらい、1、2試合目は高校の、3試合目の遅い時間帯は大学の野球部員が公休扱いで協力。高校は16校、315人が補助員としてグラウンド整備、チケットのもぎり、ファウルボール回収、清掃に球場アナウンスと運営を支えた。補助員たちも携帯アプリを使って積極的に海外の選手たちとコミュニケーション。ある1人は「『オーラ!』と声をかけたら笑顔で答えてくれて。帰りには『グラシアス』と言ってもらえてうれしかった」と貴重な経験を積んだ。
大会中は度重なる雨に見舞われるも、DJを務めた沖縄出身のDJ YOUNG MOさんが中断中も観客を飽きさせることなく盛りあげた。9月2日に行われた沖縄高校選抜との壮行試合は、5回表が終了し日本代表が3点リードした場面で雨が強くなり中断。実は、裏では選手の体調を考え「もう中止にしよう」という意見が出ていたという。「何とか、整備をしてちょっとでもやりましょう」と、押し切ったのが前川理事長だった。その思いに応えるように、球場には県内出身のHYなどの曲が流れ、MONGOL800の「小さな恋のうた」では大合唱。ウエーブに携帯のライトをペンライトのように振り、さながらライブ会場のようだった。1万7969人がほとんど席を立たず、最後まで熱戦を見届けた。
楽しんだのは観客だけではなかった。他国の選手たちはロッカーでは音楽をかけ写真を撮りあい、ノリノリで試合に向かう。キューバは「選手が疲れていますから」とシートノックを行わない日も。前川理事長は「本当、野球を楽しんでやっているんです。勝敗があるからそりゃあ真剣勝負。でも、うまく切り替え楽しむ姿がそこにありました」。日本代表の選手たちも1戦ごとに笑顔が増え、準優勝に終わった表彰式では笑顔で健闘をたたえ合った。
もともと沖縄は野球熱が高い県で知られる。「娯楽が少ない。2月にはプロ野球のキャンプを開催する。公式戦は少ないですが、野球は身近なもの。特に高校野球は人気なんです」。今夏甲子園では沖縄尚学が全国制覇を果たし、人気に拍車をかけた。大学日本代表との壮行試合で始球式を務めた元巨人、ダイエー(現ソフトバンク)で現在はNPO法人野球未来Ryukyuの理事長を務める大野倫さん(52)は「子どもたちが野球の夢を語り出した。問い合わせも多いんですよ」と野球熱の高まりを口にした。沖縄から野球の楽しさを発信したU18W杯。日本は準優勝だったが、大きな意味のある大会だった。【保坂淑子】(つづく)