<三浦知良プロ40周年特別記念試合 JFL:鈴鹿3-3三重>◇6日◇第15節◇三重交通Gスポーツの杜鈴鹿◇観衆4917人…
<三浦知良プロ40周年特別記念試合 JFL:鈴鹿3-3三重>◇6日◇第15節◇三重交通Gスポーツの杜鈴鹿◇観衆4917人
58歳130日、日本サッカー不世出のキング・カズここにあり-。アトレチコ鈴鹿FW三浦知良が、プロ40周年を銘打ったホームのヴィアティン三重戦で先発のピッチに立った。昨年10月26日のソニー仙台戦以来9カ月ぶりで、言わずもがなのリーグ最年長記録。前半45分のプレーで途中交代となったが、序盤に絶妙なスルーパスで幻のゴールの起点となった。試合は序盤に3点リードをされながら、カズが大事にしてきた不屈の精神をチームが発揮。後半追加タイムのPKで3-3ドローに持ち込んだ。
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掛け値なしの絵になる男-。プロ40年目、カズの夏祭りが鈴鹿で燃え上がった。観衆はクラブ史上最多の4917人。三重県内で行われたサッカーのホームゲームでも最多だという。試合開始3時間前から周辺道路は大渋滞し、多くの県外ナンバーの車も列に並んだ。日本サッカー界不世出のキング・カズの雄姿をひと目見ようと集まった。
夏の強い西日に照りつける午後6時キックオフ。母由子さんから試合前には花束を受け取り、クラブのスポーツダイレクターの兄泰年さんは、いつものように陰から見守った。キャプテンマークを巻いき、見せ場は前半6分。左サイドでスローインを受けると、ワンタッチで前へボールを置いて相手と入れ替わった。左前方を走るFW三好へスルーパス。ゴール前への折り返しをFW桐が押し込んだ。しかし、副審の旗が上がりオフサイド。惜しくも得点にはならなかった。
カズは前半45分だけのプレーだったが、相手と体をぶつけ合った。あまりの激しさに両手から前のめりに倒れた。白髪が目立つ58歳が、20代の屈強な男たちと本気で戦う姿に偽りはない。妥協のないプロ意識がファンの心を熱くした。
改めて40年という道のりを振り返り「僕は本当に恵まれて幸せだなと思います。こうやってグラウンドに立てているのは本当にみなさんのおかげ」。試合前、チームメートにも感謝の言葉を伝えた。今もモチベーションとなっているのは「うまくなりたい、試合に出て活躍したい」という思い。「40歳を過ぎてからそういう願望が20代、30代の時よりも強くなっている」。
1982年(昭57)に静岡学園を中退し、16歳でブラジルへ単身で渡った。下積み生活の厳しさに一度はプロをあきらめた。だが現地の貧しい子供たちの姿を目にし踏みとどまった。プロへの下地となったのはハングリー精神だ。1986年2月「王様」ペレを輩出した名門サントスとプロ契約し、そこから始まった。
「ブラジルの8年間は自分の中で大きく影響している。練習グラウンドも悪い、クラブハウスもない」。24時間バスに揺られて試合に行く時もあれば、試合に何百人しか入らない時もあった。「2年前にポルトガルに行った時もそう、いろんな環境に行って順応して、その町で友達をつくってプレーする。それはブラジルの影響が大きい。あれがなかったら自分はこうやって続けられたか分からない」。そう言って、うなずいた。
最年長記録を更新し続ける上で大事にするのはファンの声援。「ヴェルディ、日本代表で活躍していた頃を知らない子供がカズ、カズって言ってくれる。60代、70代の方も同じ」。W杯に出たことはない。それでも誰よりも尊敬される理由は、その飽くなき挑戦心ゆえ。「本当に続けられるなら還暦と言わず、ずっと続けたい」。記録よりも記憶に残る男はピッチに立ち続ける。【佐藤隆志】
◆カズの年長記録 J2横浜FC時代の17年3月12日の群馬戦でゴールを決め、50歳14日でJリーグの最年長得点記録を更新。「リーグ戦でゴールを決めた最年長のプロサッカー選手」としてギネス世界記録に認定された。21年3月10日の浦和戦ではJ1の最年長出場記録を54歳12日に更新。フランス紙レキップは「三浦は60歳までトップレベルでプレーするつもりだ」と驚きを持って伝えた。ポルトガル2部オリベイレンセでは56歳だった23年4月22日のビゼウ戦で途中出場し、同国の最年長出場記録を塗り替えた。