日本のプロレス界で創設からタイトルマッチで一貫して使われ続けた最古のベルトがその幕を閉じる。 全日本プロレスは3日、都…
日本のプロレス界で創設からタイトルマッチで一貫して使われ続けた最古のベルトがその幕を閉じる。
全日本プロレスは3日、都内の記者会見で宮原健斗&青柳優馬が持つ世界タッグ王座のベルトを7・17後楽園ホール大会でリニューアルすることを発表した。
同王座はインターナショナルタッグ王座とPWFタッグ王座の2冠を統一したタイトル。今回のベルト刷新で昭和41年から59年に渡り、受け継がれてきたインターナショナルタッグのベルトは封印されることになった。
「インタータッグ」の略称で「最強タッグ」の象徴だったベルトは、羽根を広げた鷲のデザインが印象的で昭和40年代は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の「BI砲」のシンボルだった。
その歴史は、1966年11月5日、蔵前国技館でアジアタッグ王者だった馬場&吉村道明がインタータッグ王者のフリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・バドーシスを破り王座を統一し日本マットでの幕が開いた。
翌67年10月31日に大阪府立体育会館で馬場&猪木がビル・ワット&ターザン・タイラーを破り初奪取。ここから王座陥落はあったが連続14回防衛など「BI砲」の象徴として力道山亡き後の日本プロレスを隆盛に導いた。
しかし猪木は71年12月に日本プロレスを追放。同団体での最後の試合が12月7日に札幌中島体育センターで行われた馬場と組んで戦ったザ・ファンクスに敗れたインタータッグ戦だった。この一戦が猪木の日プロでのラストマッチで同時に同団体で最後に巻いたベルトも「インタータッグ」だった。
73年4月に日プロが崩壊すると、王座は馬場が旗揚げした全日本プロレスが管理。馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビが王座に君臨。84年9月には鶴田&天龍源一郎の「鶴龍コンビ」が初奪取し王道マットの世代交代の象徴となった。
さらに85年から全日本マットに参戦した長州力&谷津嘉章が鶴龍コンビとタイトルを巡って激しくぶつかり合い団体対抗戦の熱闘も刻んだ。そして王座は「ロード・ウォリアーズ」が奪取し88年6月10日に日本武道館でPWFタッグ(84年4月に新設)王者の鶴田&谷津の「五輪コンビ」との王座統一戦が行われ、鶴田&谷津が勝利し2冠の総称として「世界タッグ王座」として制定された。
以後、テリー・ゴディ&スティーブ・ウイリアムス、三沢光晴&川田利明、三沢&小橋健太(現・建太)、武藤敬司&太陽ケア、諏訪魔&石川修司、斉藤ブラザーズらトップレスラーが受け継ぎ今年3月9日に後楽園ホールで宮原&青柳が第100代王者となった。
この間、ベルトは「インタータッグ」と「PWFタッグ」が制定されたそのままで継承されてきた。力道山が1955年11月に獲得した「アジアタッグ」ベルトは、2019年8月に新調されており、59年の歴史を持つぶインタータッグベルトは、現在の日本プロレス界における最古のベルトとなっていた。また、PWFタッグも1984年4月に王座決定リーグ戦を経てスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディが初代王者に就いてから41年の歴史を持つ伝統のベルトだ。
思えば日本のプロレス史は1954年2月19日に蔵前国技館で力道山が木村政彦と組んでシャープ兄弟と戦ったタッグマッチから始まった。タッグから日本のプロレスの歴史は幕を開けた。「BI砲」の隆盛から「斉藤ブラザーズ」の躍進まで名タッグチームが時代を彩りファンをマットに引きつけてきた。
そんな日本のプロレス史を象徴するインタータッグベルトの封印。今回のリニューアルは、ベルトの損傷が激しくなったことで致し方ない。7・17後楽園ホールでは宮原&青柳が大森北斗&タロースと3度目の防衛戦を行う。勝者が新調されたベルトを巻く。
宮原と青柳優は、インタータッグのベルトを巻いて入場する最後のコンビとなる。宮原は「こんな歴史の詰まったベルトは見たことない。最後に巻いて入場するのは感慨深い」と思いを込め、青柳優も「いろんな選手に愛されたベルト」と敬意を表し現在のベルトを「とにかく臭いです。めちゃくちゃ臭い。それだけの偉人たちの歴史が染みついているということです。だけど臭いにおいがかげないと思うと寂しい」と歴史の重みを表現した。そして「新たなベルトを我々が間違いなく巻きます。新たな歴史を刻んでいきたいと思います。においと一緒に」と新章を見据えた。
全日本プロレスは、今後、封印したベルトをイベントなどで公開し後世に語り継いで欲しい。
(敬称略。福留 崇広)