柔道の21年東京五輪男子100キロ級王者ウルフ・アロン(29)が新日本プロレスに電撃入団した。23日、都内で会見して発表…
柔道の21年東京五輪男子100キロ級王者ウルフ・アロン(29)が新日本プロレスに電撃入団した。
23日、都内で会見して発表。大学時代から憧れ、24年パリ五輪の後に決断した。全競技を通じ、日本人の五輪金メダリストの転向は史上初。今月8日に現役最終戦を迎えた後、既に本格的な練習を開始しており、来年1月4日の東京ドーム大会でデビューする。スター選手が次々と退団する中、対戦を熱望する棚橋弘至社長(48)から期待を寄せられた。
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畳からマットへ。はだしからリングシューズへ。ウルフが電撃転身を決めた。「全ての生きざまを見せるのがプロレス。ウルフ・アロンを表現できるのもプロレス」。新たな闘いの場に覚悟を決めて言い切った。
ひそかに抱いていた夢だった。東海大時代に講道館杯を連覇。最終学年の17年に世界選手権も制し、柔道界の星になりつつあった時から湧き上がるものがあった。「柔道でやり残したことがなくなったら、プロレスをやりたい」。テレビ朝日系の「ワールドプロレスリング」を録画し、毎週視聴。迫力ある肉弾戦を見るたびに思いを強めていた。
21年の東京五輪で、日本武道館で、最大目標の金メダルを獲得。最後と決めた昨夏パリ五輪は7位で燃え尽きた。気持ちは自然と次のステージへ。「やり残すことなく柔道をやれた。パリが終わってから迷わなかった。自分の中では決めていた」。自ら棚橋社長らに直訴して入団をつかんだ。
前例の多い総合格闘家ではなく、プロレスラーを選んだ。「なぜ? と言われれば好きだから」。シンプルに愛だった。日本人の五輪金メダリストの転身は史上初。道なき道を進むが「僕が優勝したのは柔道。金メダリストのプライドを持つと邪魔になる」と、誇りは畳に置いてきた。一方で「柔道を捨てるわけではない。僕を作り上げたのは柔道という気持ちでプロレスをやる」。変わらぬ精神でリングに上がると誓った。
今月から本格的に練習を始めたばかり。「土台の部分から」と柔道を始めた6歳の時と同様、受け身から修行を積む。オカダ・カズチカが昨年3月にAEW入りし、内藤哲也も今年5月に退団。棚橋も来年に引退を決めている。代表格が離れる中で「業界を担う選手に」と期待を寄せられた。
それは異例のデビュー戦に表れた。26年1月4日、団体最大の祭典である東京ドーム大会が初戦。「1・4デビューは当たり前ではなく特例。半年間、無駄にすることなく1秒1秒、全力で挑みたい」と自覚十分だ。五輪、世界選手権、日本選手権の「3冠」を遂げた柔道界の人気者から「新日の顔」になる日も遠くない。第2の人生が華々しく幕を開けた。【飯岡大暉】
◆ウルフ・アロン 1996年(平8)2月25日、東京都葛飾区生まれ。米国人の父と日本人の母の間に生まれる。6歳から春日柔道クラブで柔道を始める。千葉・東海大浦安高時代は団体で選手権、金鷲旗、全国総体の高校3冠。東海大では15、16年の講道館杯を連覇。4年時の17年に全日本選抜体重別でV2、世界選手権も制した。19年に体重無差別の全日本選手権も優勝。東京五輪で優勝した21年に紫綬褒章受章。組み手は左組み。得意技は大内刈り。181センチ。血液型A。
◆柔道からプロレス転向 65年の全日本選手権で優勝した坂口征二は67年に日本プロレス入門。73年に新日本へ移籍して89年から社長も務めた。男子95キロ級で92年バルセロナ五輪銀の小川直也は97年2月に転向。同4月の東京ドームでのデビュー戦で新日本の橋本真也を倒した。64年東京五輪無差別級金のヘーシンクは73年に全日本へ。72年ミュンヘン五輪で2階級制覇のルスカ(ともにオランダ)は76年に新日本入り。女子では66キロ級で84年世界選手権銅の神取忍がジャパン女子プロレスに入門した。
総合格闘技は多数。バルセロナ金の吉田秀彦が02年に転身。00年シドニー金の滝本誠や04年アテネと08年北京で2連覇の内柴正人と続き、北京の男子100キロ超級で金の石井慧が「看板階級」最重量級の王座から11月に電撃的に転向した。