大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。17日に日本相撲協…

大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。17日に日本相撲協会などが発表した。76歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。2013年11月に日本相撲協会を定年退職。22年12月に敗血症と診断され、療養していた。歌手としても活躍し、ミリオンヒットを連発した個性派だった。

   ◇   ◇   ◇

沢田さんは、復帰に向けてリハビリを続けていた。関係者が連絡を入れると「新曲ができたかい?」と前向きだった。今年2月にステージ復帰する計画もあったが、かなわなかった。角界で大関となり、現役時代から歌手としてヒット曲を連発。近年は表舞台に立つことなく静かに逝った。

訃報は、歌手「増位山太志郎」として所属した芸能事務所ゴールデンミュージックプロモーションと、日本相撲協会から発表された。この事実が、沢田さんの才能を物語っていた。

沢田さんは東京生まれだが、出身地を父と同じ兵庫県姫路市としていた。父の元大関初代増位山が師匠を務める三保ケ関部屋に入門し、1967年初場所初土俵。70年春場所で新入幕。31歳だった80年初場所後に大関に昇進し、史上初の親子大関となった。業師として活躍し、左右の内掛けは名人技と評された。81年春場所で現役引退し、大関在位は7場所だった。技能賞5回。金星4個を挙げた。

引退後は、部屋付き親方をへて、父の定年にともなって三保ケ関部屋を継承。小結浜ノ嶋(現尾上親方)、幕内肥後ノ海(現木瀬親方)らを育てた。

尾上親方は「あのオヤジじゃなければ、今の自分はいません」と話し、木瀬親方は「怒られたことはあまりない。自由にさせてもらいました」としのんだ。沢田さんの定年により、三保ケ関部屋が閉鎖となって約12年。部屋で育った若者頭の虎伏山は「今でもOB会があります。OBが集まりやすい部屋なんです。それがすべてを物語っているんじゃないですか」としみじみ言った。

◆増位山太志郎(ますいやま・だいしろう)1948年(昭23)11月16日、東京都墨田区生まれ。先代・増位山大志郎の長男。最高位は東大関。生涯戦績は597勝538敗18休(86場所)。得意技は右四つ、下手投げなど。74年「いろは恋唄」が初レコード。13年九州場所で65歳の定年。絵画は花鳥を描き、二科展常連の腕前。現役時は182センチ、118キロ。血液型O。