◇メジャー第3戦◇全米オープン 3日目(14日)◇オークモントCC(ペンシルベニア州)◇7372yd(パー70)プロと…

◇メジャー第3戦◇全米オープン 3日目(14日)◇オークモントCC(ペンシルベニア州)◇7372yd(パー70)
プロとアマチュアの垣根なく“ゴルファー世界一”の座をかけて戦う「全米オープン」は今年で125回目を迎える。7月に第153回を控える「全英オープン」に次ぐ伝統のメジャーは、時にハードすぎると批判の的になることすらあるコースセッティングでほかの試合とは一線を画す。長い歴史において、その権威と難しさゆえに発生した“事件”もチラホラ…。記録と記憶に残る出来事を振り返る。
コロラド州チェリーヒルズCCで行われた1960年大会、アーノルド・パーマーは最終日に7打差をひっくり返し、キャリア唯一の全米オープン制覇を遂げた。ファンから絶大な人気を誇った“キング”は勝ち方も派手なら、負けっぷりもまた壮絶だった。
カリフォルニア州オリンピックC開催の1966年大会。首位で最終日を迎えたパーマーは前半から快調に飛ばし、2位ビリー・キャスパーとの差を7打まで広げてサンデーバックナインに入った。優勝を手中に収めたかのような独走態勢を築き、記録との勝負が視野に入った。3日目を終えて合計207ストローク。前半でハーフ「32」をマークし、ベン・ホーガンの大会最少ストローク(276/1948年・リビエラCC)更新を狙ったという。
しかし、色気を出した途端にゲームの流れが一変。10、13番とボギーを重ね、それでも勝てるとバーディを狙いにいった15番(パー3)で後半3つ目のボギー。「(ジャック)ニクラスを抑えて2位になりたい」と話していたキャスパーが15番から2連続バーディと息を吹き返すと、17番でパーマーが2m強のパーパットをわずかにショートした。ついに並ばれ、勝負は18ホールのプレーオフにもつれた。
プレーオフは「69」で回ったキャスパーが「73」のパーマーに勝利。1959年に続く大会2勝目を飾った。パーマーはオークモントCC開催でニクラスに敗れた62年を含め、3度あった全米オープンのプレーオフで一度も勝てなかった。また、ホーガンの最少ストローク記録は67年にニクラスが更新した。