「大相撲夏場所・13日目」(23日、両国国技館) 大の里が第75代横綱昇進を確実にした。学生出身では第54代の輪島以来2人目。同じ石川県出身で常々「輪島さんに近づけるように頑張りたい」と話していた先輩。2018年に70歳で死去した輪島大士…

 「大相撲夏場所・13日目」(23日、両国国技館)

 大の里が第75代横綱昇進を確実にした。学生出身では第54代の輪島以来2人目。同じ石川県出身で常々「輪島さんに近づけるように頑張りたい」と話していた先輩。2018年に70歳で死去した輪島大士さん(本名・輪島博)を支え続けた小田禎彦氏(85)=和倉温泉・加賀屋代表取締役会長=は、大の里に「大相撲の大谷翔平になってもらいたい」と期待を寄せた。

 日本を代表する石川県和倉温泉の老舗旅館である加賀屋。小田氏は1979年に父・与之正(よしまさ)氏を継ぎ、3代目社長となり、輪島さんの大相撲引退時は後援会長を務めていた。

 輪島さんが全日本プロレス在籍時の米国遠征中には、現地を訪ねて励ました。2018年10月に行われた輪島さんの葬儀では、葬儀委員長を務めた。

 同郷からの新横綱。小田氏は七尾市で生まれ育ったが、母、創業者である祖父はともに大の里と同じ津幡町出身という。「だから家族のように応援しています。コロナ、地震、豪雨…、能登で災害が続いていますが、地域では年寄り皆が両手を合わせてテレビを見ています」と語った。

 小田氏は輪島さんが中学生の頃からの付き合いだ。「わんぱくでガキ大将の野球少年でした。旅館の温泉に入って、食事も取っていました」と回想。輪島さんの父の要請で、地元の石崎公民館の主事だった大森貞さんが輪島さんに相撲を教え、金沢高では岡大和監督が指導。小田氏は日大を経て花籠部屋に入門する前から注目していた。石川時代の話を懐かしそうに語る。

 「岡先生は『おけさを踊るように両かいなが入る。踊るように差していく』と話していました。大森さんは『勝利への執着心がすごい』と、当時の審判からは『集中力が普通ではない。仕切りの間に気持ちを高ぶらせて、猫がねずみを狩るようだった』と聞きました」

 小田氏は輪島さんが大関に昇進する前、東京・阿佐ケ谷の花籠部屋を訪ねた時の思い出を語った。一緒に相撲のVTRを見た時だ。「最初は解説をしてくれるのですが、だんだん自分が相撲を取っているように集中して、僕の存在を完全に忘れてしまった。これが天才か、と思いました」。自分の世界に入り、他を寄せ付けない独特の感性に触れた瞬間だった。

 横綱昇進後の思い出は、74年名古屋場所。1差で大関北の湖(当時)を追う千秋楽、本割と決定戦を制し、逆転優勝した。「トラが獲物を狩る目で一点を見つめている」と言う輪島さんの姿が思い浮かび「優勝が決まり父が跳びはねて喜んでいました。自分が親孝行したように、誇らしい気持ちになりました」と述懐した。

 大の里に輪島さんから参考にしてほしい点を尋ねると、小田氏は「田舎は気持ちの優しい人が多い。だから勝利への執着心、集中力でしょうか」と答えた。そして最後に「大相撲の頂点は、日本一ではなく世界一です。大リーグの大谷翔平選手のような存在になってほしい」と夢を語った。