プロゴルファー中嶋常幸(70)が、父との別れを機に人生最大のスランプに陥った当時を振り返った。YouTubeチャンネル「SHOVEL SPORTS」で長編のインタビュー動画が公開。20代、30代にも味わったスランプが、40代になって再び訪…
プロゴルファー中嶋常幸(70)が、父との別れを機に人生最大のスランプに陥った当時を振り返った。YouTubeチャンネル「SHOVEL SPORTS」で長編のインタビュー動画が公開。20代、30代にも味わったスランプが、40代になって再び訪れた経緯を明かした。
父・巌さんの厳しい指導で台頭した中嶋だが、海外メジャー出場を機に23歳で独立。夜逃げ同然で実家を飛び出した経緯もあって、長きにわたって親子は距離をおいていた。
1995年、40歳の中嶋は家族から巌さんががんをわずらっていることを聞かされたが、すぐに見舞いに行くことはためらわれたという。その年の国内男子ツアー開幕戦、3月上旬の東建コーポレーションカップ(鹿児島・祁答院ゴルフ俱楽部)に出場する予定も変えなかった。
試合会場で尊敬する杉原輝雄に事情を明かすと「バカもん!早くいけ!」とものすごいけんまくで怒鳴られた。ようやく腹が決まり、試合が終わったあとに東京の大学病院に駆け付けたが、父はすでに亡くなっていた。息を引き取ったのは、中嶋が到着するわずか2時間前だったという。
「親不孝者、親の死に目に会えず、なんです。親父(おやじ)は怒った顔をしていた。子供の頃に怒られた当時と同じ顔だった」
「出た言葉は、ごめんな、ごめんな、勘弁してくれ、だった。それしか出てこなかった」
父に手を上げたりしたこともない。いい息子だと言われ続けてきた。なぜ謝っているのか、自分でも分からなかった。その迷いが、ゴルフにも明らかに影響しだした。
その年の5月、フジサンケイクラシックで優勝して、セレモニーではMCから「お父さんが亡くなったショックも、これでもう大丈夫でしょう」と声をかけられもした。だが、それを境に一切成績がでなくなった。5年後には年間の賞金ランク116位にまで低迷した。
なぜ、自分が謝ったのか。答えが出たのは、初孫ができた時だったという。
「初孫を抱いたときに、このために生きてきた、と思った」
「もっと親父に孫を抱かせてやればよかった。ずっと子供のころから、母に手を上げる親父の姿もみていたし、プロになるまでスパルタ教育も受けた。絶縁状態で家も出た。親父を愛せない。でもそれは、罪なんだよ。親子はなんであれ親子。あの日、自分が亡くなった父に謝ったのは、心の声だったんだと思う」
スランプを脱し、復活勝利を挙げるまでには7年を要した。インタビュー動画では、小児がん患者のドキュメンタリー番組をテレビでみたことが復活のきっかけになったことも語っていた。