原爆投下直後の広島で考案されたスポーツ「エスキーテニス」を広めようと、考案者の玄孫(やしゃご)にあたる広島桜が丘高校1…
原爆投下直後の広島で考案されたスポーツ「エスキーテニス」を広めようと、考案者の玄孫(やしゃご)にあたる広島桜が丘高校1年の宇野本愛生(あいき)さん(16)=広島市西区=が精力的に活動を続けている。宇野本さんは「平和への願いが込められたスポーツを通じて、平和の尊さを伝えたい」と力を込める。
エスキーテニスは、テニスの約8分の1の広さのコートで、高さ55センチのネットをはさみ、バドミントンのシャトルのようなボールを木製ラケットで打ち合う。原爆で娘を亡くした靴工場経営者の宇野本信さん(1959年没)が、簡単に手に入る材料で、狭い場所でもできるスポーツを、と考え出した。
宇野本家では代々、エスキーテニスの普及活動を続けており、いまでは広島県内の大学などでプレーされるまでになったという。
宇野本さん自身も物心ついた頃から親しみ、中学1年の頃には父と小学校などに出向き、エスキーテニスの体験会に参加。昨年も同県神石高原町の職員に指導したり、広島市東区の公民館の事業で講演したりした。今年に入ってからも、平和学習の一環として東広島市の小学校で子どもたちに教えるなど活動を続ける。
有名になってエスキーテニスを広めようと、多くの人気俳優が輩出する「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」にも挑戦。ファイナリストまで進み、エスキーテニスを披露した。夢はオリンピック競技にすること。「一度体験したら楽しいと思ってもらえる自信がある。平和と強いつながりがあるエスキーテニスを、平和への願いとともに広島から世界に広めたい」(遠藤花)