マリナーズなどで活躍し通算3089安打などの記録を残したイチロー氏の米野球殿堂選出を受けて、父の鈴木宣之さん(82)が22日、愛知県豊山町で取材に応じ、イチロー氏が愛工大名電高に入学するに至った思い出話を披露した。 史上初となる日米の殿堂…

 マリナーズなどで活躍し通算3089安打などの記録を残したイチロー氏の米野球殿堂選出を受けて、父の鈴木宣之さん(82)が22日、愛知県豊山町で取材に応じ、イチロー氏が愛工大名電高に入学するに至った思い出話を披露した。

 史上初となる日米の殿堂入り。宣之さんは「幸運にも有資格初年度で日米同時に成就、達成できたということで、本当に皆様方に御礼申し上げたい」と感謝を述べた。

 親子鷹でイチロー氏を支えてきた宣之さんは、「イチローがプロに入ってからのことは、皆さんよくご存じだと思います。中学高校までぐらいのことを、ちょっとお話ししたい」と切り出し、イチロー氏が通っていた豊山中学校の当時の校長から前日届いたというはがきを読み上げた。

 はがきには成績優秀だったイチロー氏に学校側は進学校への推薦準備を進めていたことが書かれていた。だがイチロー氏は勉学の道ではなく、幼い頃からの夢だった、野球を極める道を迷うことなく選択した。

 宣之さんは分岐点となった当時を「(学校側からは)進学校へ行きなさいって言われてて。『いや、イチローはスポーツで行きたいって言ってます。スポーツの学校へ行かしてください』って校長先生の前、担任の先生の前で、私も頭を下げました」と回想した。

 その場には、愛工大名電高の中村豪監督もいたといい「この校長先生の前で、名電の監督に『プロ野球選手にさせてやってください』と。甲子園に行かしてくださいじゃなくて、プロ野球選手にさせてくださいとお願いしました」と直訴していたことを明かした。

 中村監督からは「任しとけ」という力強い言葉があったという。甲子園常連の強豪高に入学したイチロー氏は不断の努力によって着実に力をつけ、その後、オリックスにドラフト4位で入団。この日に至るまでのプロ野球選手としての人生をスタートさせた。

 宣之さんは「イチローは名電という野球を主体にした学校へ進学したわけです。中学の思い出というのはこれが1番」と懐かしんでいた。