野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りを発表。競技者表彰のプレーヤー表彰として、NPBで歴代最多となる1002試合登板、通算407セーブの岩瀬仁紀氏(50)が選出された。 残してきた功績からは考えられないほど、岩瀬氏は控え…

 野球殿堂博物館の表彰委員会は16日、今年の野球殿堂入りを発表。競技者表彰のプレーヤー表彰として、NPBで歴代最多となる1002試合登板、通算407セーブの岩瀬仁紀氏(50)が選出された。

 残してきた功績からは考えられないほど、岩瀬氏は控えめだった。鉄腕として前人未到の1002試合登板、407セーブと数々の偉業を左腕1本で打ち立ててきた20年。「僕は人に本当に支えられてここまで来ました」。縁、出会いへの感謝を決して忘れない恩返しの殿堂入りとなった。

 恩師と呼ぶ2人の監督がいる。「野球の厳しさを教わった」という故・星野仙一氏、「抑えとして導いてくれた」という落合博満氏だ。愛知大、NTT東海を経て入団した99年は24歳。人よりも少しだけ遅いスタートではあったが、出会いが道しるべとなった。星野氏から口酸っぱく説かれた「打たれても下を向くな」の教えは、20年間を支えた信条にもあった。

 中日の黄金期をけん引した守護神だ。数字を振り返ったのはユニホームを脱いでから。「初めてよくこんなにやったな」と体をいたわりながら、「首脳陣、選手、ファンの皆さまに信頼されて初めて成り立つ場所」と言う抑えを守り抜いた日々を少しだけ誇りに思った。

 忘れもしない07年の日本シリーズでは、日本一に王手をかけた試合で山井と継投での完全試合を達成。「あのシーンは今でもぞくっとする」と笑うが、「これはあまり表には出ていないんですけど、日本シリーズに6回出場して防御率0・00はすごく誇り」と胸を張る。記憶に残る名シーンだが、極度な重圧と緊張感だ。今、ようやく笑って振り返ることができた。

 絶対的な安定感で勝利を締めくくってきた職人。そこに派手さはない。「イチローさんと一緒の年に決まったのも何か運命的なものを感じますね」。殿堂という称号を得ても、岩瀬氏は最後まで控えめだった。

 ◇岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)1974年11月10日生まれ、50歳。愛知県出身。現役時代は左投げ左打ちの投手。西尾東から愛知大、NTT東海を経て、98年度ドラフト2位で中日入団。最多セーブ5回、最優秀中継ぎ3回。05年から9年連続30セーブ。05年にセ・リーグタイのシーズン46セーブ。15年に左肘の故障で1軍未出場も翌16年復帰。18年コーチ兼任、19年現役引退。通算1002試合登板と通算407セーブはプロ野球記録。04年アテネ五輪、08年北京五輪日本代表。

 ◆野球殿堂入りの対象者と選出方法は次の通り。

 【競技者表彰】    

 ▽プレーヤー表彰

 対象は引退から5年以上の元プロ選手で今回は28人。候補者でいられるのは15年間。選考は野球報道に関して15年以上の経験を持つ委員が務め、7人以内の連記で投票する。

 ▽エキスパート表彰

 プロのコーチ、監督でユニホームを脱いで6カ月以上が経過しているか、引退から21年以上の元プロ選手が対象。今回は20人。選考は既に殿堂入りした人、競技者表彰委員会幹事と野球報道30年以上の経験を持つ委員が6人以内の連記で投票する。

 【特別表彰】     

 対象は①アマの競技者で選手は引退から5年以上、コーチと監督は引退後6カ月以上②プロ、アマの審判員で引退後6カ月以上③プロ、アマの組織などの発展に貢献④野球に関する文芸、音楽などの著作物や報道関係者としての実績がある-の項目に該当する人。選考はプロ、アマの役員や野球関係の学識経験者が投票する。

 ◆野球殿堂 日本野球の発展に大きく貢献した人たちの功績をたたえ、顕彰することを目的に1959年に創設された。プロ球界で功績のあった競技者表彰(プレーヤー表彰と指導者も対象となるエキスパート表彰)と、審判員やアマを含め球界に貢献のあった人が対象となる特別表彰がある。選出にはいずれも投票で75%以上の得票が必要。今回の選考で競技者表彰は107人、特別表彰は115人となった。殿堂入りすると東京ドームにある野球殿堂博物館にレリーフが飾られる。