昨季J2で16位だったベガルタ仙台を就任1年目でリーグ戦6位、J1昇格プレーオフ(PO)決勝まで導いた森山佳郎監督(57)。初めてプロの選手を指揮した“新米指揮官”が今季を総括し、熱心に取り組む地域密着への思いを告白した。**** うまさ…

 昨季J2で16位だったベガルタ仙台を就任1年目でリーグ戦6位、J1昇格プレーオフ(PO)決勝まで導いた森山佳郎監督(57)。初めてプロの選手を指揮した“新米指揮官”が今季を総括し、熱心に取り組む地域密着への思いを告白した。

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 うまさもあり、戦う相手に怖さを与えるチームづくりをしてきた森山監督。その根幹としてフィジカルを鍛え、ハードワークできるように選手を指導してきた。一方で自身も選手たちに負けないくらい、ハードワークをした1年だった。

 「これ以上無理っていうくらい、ほぼ休みもなく夜遅くまで仕事したので95点ぐらいのハードワーク。ただ、J1に行けなかったり、勝ちきれないことがあったりと結果に対しては65点ぐらい。まだ自分の本当の力というか、もっとチームを導けたとかいろんなことを含めるとまだまだ足りないなってところです」

 クラブは育成方針を掲げ、“新生ベガルタ仙台”としてリスタートした1年目。勝利を目指しながらも若い選手を積極的に起用し、来季につながるチームの土台を築きあげた。

 「(工藤)蒼生や(オナイウ)情滋が去年ほぼ戦力になっていないのに、これだけやってくれた。相良(竜之介)もね、気田亮真(現J2山形)の陰でほとんど輝きなかったし、(中島)元彦も去年以上の働きをした。サブで良かったやつを先発にしたり、(積極的に若手を起用する)チャレンジ枠を使いながら刺激して固定せずにやって、常にチームに緊張感を与えられた。自分にもまだまだチャンスがあると思いながら頑張ってくれたし、若い選手たちがかなり伸びてくれたところは大きい」

 J1昇格と同等の熱意を持って地域密着を掲げ、サポーターと触れ合ってきた。日々の練習後はもちろん、ファンサービスを実施しない日や雨が降る時にもサプライズでやってきた。スポンサーの謝恩パーティーでは「自分を(広告塔として)いくら使ってもいい」とステージ上で公言するほど。言葉でも態度でも地域密着を実行する指揮官の原点は、指導者としてのスタートとなった2000年からの「広島ユース」時代にあった。

 「広島ユースは完全地域密着で、吉田町(現安芸高田市)という何もないところに行って地域の人と仲良くなり、酒を飲み、ボランティアをしたりして認められてきた。そこからトップの選手が出て“おらが町”で育った選手を一生懸命応援するのを繰り返してきた。強かろうが弱かろうが、勝とうが負けようが、J1に上がろうがJ3に落ちようが『いつでもそばにいるぞ』と思ってくれるような関係に仙台でもなれたらという思いがある。もちろんプロは結果も大事だし、チームがダメになったらクビになるのは変わりない。だけど、そこが全てじゃない。地域とクラブの幸せな関係を理想に築いていきたい」

 来季はJ1から3チームが降格するなど、今季以上にいばらの道。今季の6位以上を目指し、戦っていく。

 「もちろん自動昇格は目指しますけど、現実的にはプレーオフをユアスタで戦いたい。今季は(Jリーグのスタッツで)チャンスクリエイト数やゴール期待率は(20チーム中)14位。チャンスをあまり作れていなかった。ただシュート決定率は10・9%(5位)と高いのでシュートに至るまでの再現性や、ボックスの中に入る回数を増やす取り組みをキャンプでしていきたい」

(山崎 賢人)

 ◆森山 佳郎(もりやま・よしろう)1967年11月9日、熊本市生まれ。57歳。熊本二高から筑波大を経て91年にマツダ(現広島)へ入団。広島、横浜フリューゲルス、磐田でDFとしてプレーし99年末に平塚(現湘南)で引退。2000年から12年までは広島ユースのコーチや監督を務めた。15年から23年までは日本代表ジュニアユースの監督を務めた。日本代表通算7試合出場。J1通算166試合5得点。愛称はゴリさん。