「福岡国際マラソン」(1日、平和台陸上競技場発着) 25年東京世界選手権の代表選考会を兼ねて行われ、吉田祐也(27)=GMOインターネットグループ=が日本歴代3位となる2時間5分16秒で4年ぶり2度目の優勝を飾り、世界選手権代表入りに名乗…

 「福岡国際マラソン」(1日、平和台陸上競技場発着)

 25年東京世界選手権の代表選考会を兼ねて行われ、吉田祐也(27)=GMOインターネットグループ=が日本歴代3位となる2時間5分16秒で4年ぶり2度目の優勝を飾り、世界選手権代表入りに名乗りを挙げた。

 気温15度を超えた暑さの中で、しっかりと先頭集団につくと、25キロ過ぎからはゲタホン(イスラエル)とのマッチレースとなったが、ペースメーカーが外れた30キロを過ぎてじわりとスパート。35キロ地点では日本記録を上回るペースで徐々に差を広げて、そのまま圧勝した。00年の藤田敦史の2時間6分51秒の日本人コース記録や、外国人も含めた大会記録も更新。大迫傑が20年東京マラソンで出した2時間5分29秒も上回り、日本歴代3位となった。

 激走に恩師で、テレビ朝日の中継で解説を務めた青学大の原晋監督も感涙。終盤では「本当に涙出ますね。この走り感動します。1番の喜びは教え子が活躍すること。うれしいですね。本当に努力の天才なんですよ」と声を震わせた。レース後には「4年間苦しんだ中で、青山に戻ってきてくれて今、私の指導受けてるんですけど、本当によくやってくれた。ありがとう!」と語った。

 吉田はレース後のインタビューで想いが溢れ「20年に初優勝してからの4年間は悔しかったこと、つらかったことたくさんあった。目標から遠ざかっている自分が忌々しくてしょうがなかった。たくさんの人に支えてもらった。ありがとうございます」と涙した。

 吉田は青学時代の20年2月別府大分で日本人トップの3位に入り、注目を集めた。当初大手お菓子メーカーに就職が内定していたが、相手先に快諾をもらって辞退し、GMOで競技続行を決断した。同年12月の福岡国際で優勝。今年2月の大阪では2時間6分37秒の自己ベストで4位に入っていた。