<寺尾で候>日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。    ◇   ◇   ◇自分がスクラップしている資料には、DeNA代表取締役会長、球団オーナー南場智子のインタビューがある。5年前の19年4…

<寺尾で候>

日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

    ◇   ◇   ◇

自分がスクラップしている資料には、DeNA代表取締役会長、球団オーナー南場智子のインタビューがある。5年前の19年4月、日本経済新聞の掲載記事を自室の奥から引っ張り出した。新社会人に自身の経験を交えながら心得を説いている。

うちに入ってくる新入社員にもこんなことを言ってみたいと読み返したのを思い出した。南場は「1つの会社で退職まで働く時代は終わりつつある」としながら、「ただ1度選んだ会社でまずは夢中になって仕事をすることも大事だ」と語っている。

「うまくいかない時は必ずあるが、それを環境のせいにしてしまうと拾えたはずの宝物を逃してしまう。簡単な成功は人を成長させてくれない」

一方で、自分が20代ならプログラミングなどモノ作りの技術を習得したいともいう。優秀な若者が起業する時代に「自分たちで試行錯誤しながら工夫し、市場を生み出す方が成長に近づける。“千本ノック”が自分の成長につながる」と諭した。

プロ野球界に参入してきた当時は、大変失礼ながらどういった会社かも知らなかった。99年にディー・エヌ・エー社を設立し、プロ野球初の女性オーナーに就いたのは15年だった。オーナー会議議長も整然と取り仕切った。経団連副会長として経済界をリードする存在でいる。

球団を保有した決断は「DeNA」のブランド価値向上につながった。その間も注目した“ナンバ流”は、鋭敏でシビアな経営指針のアンテナに「人」としての熱さがにじむ。その人間味がはじけたのが、プロ野球で日本一になった瞬間だった。

DeNA球団のGM(ゼネラルマネジャー)だった高田繁は、現在は本体のフェローの立場で、年に1回は南場と球場で試合をチェックする。

「監督が中畑のときは戦力が整っていなかったけど、ラミレスの任期途中からそろそろ優勝を狙えると思っていた。今年は3位からCS、日本シリーズと勝つことができた。短期決戦で勢いもあったし、運も必要だ。三浦もなにかをつかんだのではないだろうか」

日本ハム、ヤクルト監督を歴任し、勝負の世界に生きてきた高田は「ただ…」と付け加えた。「やっぱりリーグ優勝しないといけないんだよ。あのソフトバンクに勝ったのは立派だ。でも評価は巨人、ソフトバンクのほうが上だと思う。本心ではオーナーも同じだろう」。

特に高田が情熱を感じたオーナーは、日本ハム創業者の大社義規と南場智子だと打ち明けた。「南場オーナーは絶対上から目線でモノを言わない人。ざっくばらんで、それでいて負けず嫌い。金を出すときは出す。あれだけ体調が良くないとは思わなかったが、筒香を獲得したのが良い例で、勝つための戦力と思ったから投資したんだ」。

DeNAは11月3日の横浜スタジアムで、ソフトバンクを下し、日本一の頂点に立った。南場と観戦した高田は、ソフトバンク孫正義らが胴上げされていることを持ち出した。しかし南場はその提案に乗ってこなかったという。

「他球団のオーナーが胴上げされることを言ったら、南場オーナーは『それはリーグ優勝したときにお願いします』と遠慮した。そして『そのときはスカートではなく、パンツを履いてきます』とおっしゃった。そして『まずはファンにお礼が言いたい』とグラウンドに出て行ったんだよ」

南場はお礼の気持ちを使えるために、“ナンバコール”が起きるなかスタンドを回って、頭を下げ、手を振ったかと思えば、一緒にバンザイをし、ファンと歓喜を分かち合ったのだ。

果たして南場が宙に舞う日はくるのか。新社会人に向けた記事では、次の時代に新たなヒーローになる企業の出現も予言している。生き馬の目を抜く世界をのし上がったトップ経営者の次なる手綱さばきに注目している。(敬称略)