パリ・パラリンピック車いすラグビーで、日本代表が初の金メダルに輝いた。中心選手として文字通り大車輪の活躍を見せた橋本勝也選手(22)=日興アセットマネジメント=の故郷・福島県三春町では、大勢の町民がパブリックビューイング(PV)に集まり、…
パリ・パラリンピック車いすラグビーで、日本代表が初の金メダルに輝いた。中心選手として文字通り大車輪の活躍を見せた橋本勝也選手(22)=日興アセットマネジメント=の故郷・福島県三春町では、大勢の町民がパブリックビューイング(PV)に集まり、橋本選手に声援を送った。優勝を決めた瞬間、会場は歓喜に包まれた。
橋本選手は米国と対戦した決勝、第1ピリオド途中から出場し、最終の第4ピリオドまで、コートで躍動を続けた。
序盤こそパスミスで相手にリードを奪われるなど硬さがみられたが、粘り強い堅守からリズムを立て直していった。
第2ピリオドでボールを奪うスチールからトライを決めると、持ち前のスピードと機敏な動きをいかし、次々とトライを決め逆転。第3、4ピリオドでも攻撃に守備に活躍し、最後は48―41で下し、悲願の金メダル獲得に大きく貢献した。
PV会場の三春交流館「まほら」には、試合開始が日本時間で午前2時半にもかかわらず約80人の町民が詰めかけた。車いすで勉強や学校行事に励んでいた姿を知る町民たちは、橋本選手がトライを決めるたび、「いいぞ、橋本!」のコールを響かせた。
優勝の瞬間、会場の熱気は最高潮に。町民は涙を浮かべながら「ありがとう」「三春の誇りだ」とたたえた。
橋本選手は同町生まれ。生まれつき手足に障害があり、3歳のときに両足を失った。町内の小学校、中学校、高校に進み、車いすラグビーは中学2年から始めた。町職員として勤務しながら競技を続けてきた。だが、2021年の東京パラリンピックで銅メダルを獲得した後、金メダルをめざすため退職し、競技に専念してきた。
中高時代に同学年だった宗像剛琉さん(22)は「勝也君はプレーと同じで常に一生懸命。笑顔を絶やさず学校の人気者だった」と話す。「金メダルは、障害があっても前に進もうという気持ちを持ち続けた結果だと思う。お世辞でなく心から『自分もがんばろう』と思わせてくれた。ありがとう」
元上司の坂本浩之・三春町長は「一回りも二回りも大きく成長した姿を見せてくれた。ふだんの穏やかな雰囲気からは想像できない素晴らしいファイトだった」とねぎらった。(斎藤徹)