西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 第5回 ハメス・ロドリゲス日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。今回は…

西部謙司が考察 サッカースターのセオリー 
第5回 ハメス・ロドリゲス

日々進化する現代サッカーの厳しさのなかで、トップクラスの選手たちはどのように生き抜いているのか。サッカー戦術、プレー分析の第一人者、ライターの西部謙司氏が考察します。今回は、コパ・アメリカ2024(南米選手権)で決勝進出。コロンビア代表で大活躍しているハメス・ロドリゲスです。

【絶滅危惧種のナンバー10】

 1980年代はナンバー10の時代だった。代表格としてディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)、ミシェル・プラティニ(フランス)、ジーコ(ブラジル)がいた。

 ところが10年ほど経過すると、背番号10に象徴されるタイプは「絶滅危惧種」になっていた。その昔、そこかしこに咲いては芳醇な香りを放っていたサッカー界の花は、もはや見つけるのが困難になってしまっている。

 ただし、まだ絶滅はしていない。本物の10番は、むしろ生息しやすい環境になってきたのかもしれない。もちろん、それが本当の本物であればの話だが。



コパ・アメリカ2024で大活躍しているハメス・ロドリゲス photo by Getty Images

 ハメス・ロドリゲスは現代サッカーの厳しい環境の下、ほかの10番たちと同様に居場所を失ってしまったように思われた。しかし、コパ・アメリカ2024で再び大輪の花を咲かせている。決勝進出を決めた2日後の7月12日に33歳となったハメスは、ここまで5試合で6アシスト。コロンビアを決勝へ押し上げた立役者だ。

 ハメスを数字で語るのは野暮というものだろう。5-0と大勝した準々決勝のパナマ戦、大会4つめのアシストはコーナーキックだった。その後、PKをずばりと決めて大会初ゴール。

 圧巻だったのが3点目だ。中盤でフリーキックを得て、ボールが静止するや左足を振る。オフサイドぎりぎりで裏へ飛び出したルイス・ディアスの目の前へ置くようなパス。ディアスがループで決めた。ハメスが顔を上げた瞬間に動いたディアスへ、寸分の狂いもないボールを届けている。その瞬間、時間が止まったように思えた。

 ハメスはただ、ボールを蹴っただけだ。けれども、そこには凝縮された美があり、息を呑むような感動を与える。本物の10番の香りがした。

【「いない」ものとして扱うとうまくいく】

 ハメスに決まったポジションはない。

 右にも左にもいるし、前にも後ろにも動く。漂うようにフィールドを浮遊している。現在のサッカーでは、ほとんどお目にかからない種類の選手と言える。

 ほぼ唯一の例外がリオネル・メッシ(アルゼンチン)だ。90分間の大半を、ただとぼとぼと歩いている。

 この世紀の天才を、アルゼンチン代表はどう扱っていいのか長らく考えあぐねていた。誰と組み合わせたらいいのか、どうやってボールを渡し、周囲はどう動き、守備負担をいかに軽減するか......試行錯誤を続けていた。

 ようやく正解を探り当てたのは、メッシの力が微妙に落ち始めたタイミングである。たったひとりで何人も抜き去って得点する「ラッシュ」の頻度が激減し始めた時期だった。

 2022年のフィナリッシマ(ユーロ=欧州選手権とコパ・アメリカの優勝チーム同士の対戦)で、ユーロ2020の王者イタリアを3-0で下す。この時点でアルゼンチンは回答を出していた。メッシを中心にチームを組織する、あるいは組織のなかにメッシを組み込むのを止めた。ある意味、メッシを「いない」ものとして扱った。すると、これまでのどのチームよりもメッシをチームにフィットさせることに成功し、2022年にはワールドカップ優勝まで成し遂げたのだ。

 今回のコパ・アメリカ2024、コロンビアにほぼ同じことが起きている。

 コロンビアはハメスなしでも戦えるように設計されていて、実際に準決勝のウルグアイ戦では退場者を出して10人になっても、それほど一方的にやられることはなかった。39分にハメスのコーナーキックからジェフェルソン・レルマが先制。ダニエル・ムニョスの退場がその7分後。後半は時折カウンターでウルグアイに脅威を与えながら守りきっている。

 ムニョスが退場になった直後は4-4-1。1トップにハメスが残っていたが、後半から4-3-2にシステムを変えている。2トップはジョン・コルドバとディアスで、ハメスは中盤の「3」に入ってもっぱら守備をしていた。チームの歯車として働いている。ただ、それだけならば他の選手にも代替できるわけで、途中でハメスは交代した。

 ハメスへの期待は、チームの一部になることではない。チームを超越した存在として、たった1回のプレーでもいいから得点を生み出してくれることである。それには残り10人でチームとして成立できていなければならない。

 10番の生息が難しくなっていったのは、ハードワークできない選手がひとりでもいると、支障をきたすと考えられていたからだ。いかに美しく希少でも、大半の時間で役に立たないものを置いておく余裕はない。そんな環境で生き残れるのは、ハードワークできる10番だけだった。

 しかし、ここにきて少し風向きが変わっているのかもしれない。ハードワークのレベルアップが進んだ結果、ひとりくらいはさほど頑張らなくてもチームとしての体裁を保てるようになってきたのだ。

【ひとつのプレーで局面を一変】

 ハメスはメッシより若く、まだハードワークにも耐えうる体力があるようだが、期待はそこではない。

 ひとつのプレーで局面を一変させること。その前提になっているのは、戦況を読みきる能力と針穴を通すようなキックのコントロール、その技術の高さゆえの秀逸なアイデアだ。ハメスはあまりドリブルをしない。その点はドリブル突破がめっきり減ったメッシとの共通項でもある。

 ウルグアイ戦の決勝点をもたらしたのはハメスのコーナーキックだが、それ以外に攻撃面でほぼ何もしていない。それでも勝利をもたらしているわけで、その1分あるいは1秒のためにフィールドにいるわけだ。その瞬間のために彼はあちこちに浮遊しているが、エキストラな存在であるがゆえにチームはそれを苦にしていない。

 今でこそ現世から解脱したように自由なハメスだが、最初からそうだったわけではない。ウイングとして精力的に仕掛け、献身的なボランチとして起用された時期もあった。チームの中に居場所を見つけるためにもがいていた。けれども結局のところ、どこにもはまらなかったのではないか。おそらく生粋の10番だからだろう。

 メッシもバルセロナでデビューした時はウイングだった。ウイングという枠のなかで適応しようと格闘していた。しかし、やがてメッシのポジションはなくなった。9番でも7番でも、全部「偽」になった。メッシはただメッシであればいいということになってから、本物のメッシになっていった。ジネディーヌ・ジダン(フランス)も似た過程を経ていて、チームが組織に組み込むのを諦めてから本領を発揮している。

 ハメスが、ただハメスであればいいと認められているのはコロンビア代表だけかもしれない。これまでも時折クラブチームでそういう時期はあったが長続きはしておらず、今回もコパ・アメリカ限定かもしれない。それでも、人々が忘れかけていた花の色や香りを再認識させてくれた功績は大きいように思える。

【10番が人々を幸福にできる瞬間は辛うじて残されている】

 折しもコパ・アメリカ開催中に、ウルグアイのマルセロ・ビエルサ監督は、次のように発言していた。

「サッカーは衰退の一途を辿っていると確信している」

 その理由は、"サッカーがビジネスになって久しく、人々の文化やアイデンティティーに根ざして幸福を与えられるものではなくなっているからだ"という。実は、こうした言説は定期的に誰かから発せられてきている。

 近年のサッカーは、あまりにも大きな利権が絡みすぎ、脅迫的な勝利至上主義や理屈づくし、体力任せになってしまった感は否めない。合理的すぎて、それを超えるものがあると信じなくなった。

 計れない、見えないものは「ない」のと同じだと。10番が生息しにくくなった理由でもある。

 しかしそれでも、人々を幸福にできる瞬間はまだ辛うじて残されていることを、ハメスは示してくれたのではないだろうか。